橋本裕の日記
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2004年04月30日(金) 非政府個人は非国民・反日か

「非国民」に続いて、「反日」という言葉が目に付くようになった。自民党の柏村武昭参院議員が、26日の参院決算委員会で、「人質の中には自衛隊のイラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。そんな反政府、反日的分子のために血税を用いることは強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」と発言したという。

「反日分子」というのは、戦前、中国や朝鮮半島で、武器を持って抵抗した勢力のことをそう呼んだのがはじまりのようだ。戦後世代の私たちにはあまり馴染みのない言葉だが、戦中派の人々は、こうした発言によって、いろいろな記憶がよびさまされたのではないか。私も教員になったころのイヤな経験を思い出した。

 20年ほど前に、豊田市の県立高校に勤務していた頃、毎朝夕、国旗に礼拝し、国旗と県旗と校旗をグランドに掲げていた。朝礼のある日は、君が代の伴奏付きで、私が掲揚係をしていた。なんとも時代錯誤のような気がしたが、近所の老人の中には涙を流さんばかりに感激していた人もいた。

 この話を前任校で同僚だった若い教員に話すと、「そんなにすばらしいが学校があるなら、僕は転勤したい」と言って、彼は実際数年後にその高校に転勤してきた。私より5歳ほど年下だったが、考え方は人様ざまだと思ったものだ。

 その学校でも職員旅行があったが、体調不良を理由に私が不参加を告げると、教頭から家に電話がかかってきた。「参加しないのは君をふくめて3人だけだ。あとの二人はAとBだが、あの二人はおかしいだろう。君は参加するね」とねちねちした声で言う。参加しなければ私も「おかしな3人組」の一人になりそうだったが、「不参加」をきめこんだ。

 ところが職員旅行が終わってから、私は教頭や上司の指導部長から、「君はこの学校に不満があるのだってね」と強い口調でいわれた。私がかって不用意に同僚にもらした一言が、旅行先でその同僚から校長に伝わり、「旅行に参加しないのは、学校に不満があるからだ。3人は不満分子だ」ということになっていたようだ。

 少し前に、下校時に驟雨があって、私のクラスの男子3名が相乗りをしようとタクシーを学校に呼んだ。それが指導部に見つかり、三人は指導室で正座させられ、反省文を書かされた。そのことを生徒から聞いた保護者が、夜、私の自宅に抗議の電話をよこしてきた。

「なぜ、タクシーの相乗りがいけないのでしょうか。あの雨の中を帰れば制服はずぶぬれになります。タクシーの方が費用も安いですし、風邪でも引いたらそれこそ学校もお休みしなければいけません。私たちは共稼ぎなので、迎えにもいけないのです」

 私自身も学校の指導は行きすぎだと考えていた。しかし、建前は「それが規則ですから」と答えるしかない。いきおい保護者や生徒との溝はふかまり、不信感が増大していく。そうしたことが他にもいろいろあるので、「こんなことでいいのでしょうか」と、学年副主任をしていたその同僚に疑問をもらしたのである。

 その時は彼も「僕もおかしいと思うよ」と私に同調していたのだが、職員旅行でそのことを私の名前を出して、校長に進言したようだ。ちなみに彼は翌年、学年主任になり、校長に学年新聞の題字を書いてもらうなど、みぐるしいほどのごますりぶりを発揮し始めるのだが、その当時はそんなそぶりを見せず、私は彼のことを数少ない良識派だと信頼していただけに、すっかり裏切られたような気分になった。

 数日後、職場でうかない顔をしている私に、隣の女性教員がこっそり写真を見せてくれた。浴衣掛けの校長を真ん中にして、女性職員ばかり20名近くが勢揃いしている。話を聞くと、深夜、校長の部屋へ全員が動員されたとか。校長の権力を見せつけるような一枚の写真だった。

 その女性教員は、「昔もこうしてこうして個人の人権が無視され、暗い時代がはじまり、戦争がはじまったのでしょうね」と溜息をついていた。意見や批判をいうと、すかさず告げ口され、「不満分子」と呼ばれて村八分にされる社会は息がつまる。「非国民」「反日的分子」などという言葉が横行し、国策に反対する個人を誹謗中傷する社会には、不安と、憤りと、怒りを覚える。


橋本裕 |MAILHomePage

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