橋本裕の日記
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| 2004年04月27日(火) |
ある国際ジャーナリストの視点 |
高遠さんたちは解放直後の映像で、「イラクに残りたい」という思いを述べていた。これについて、小泉首相は記者団に、「これだけの目に遭って、多くの政府の人たちが自分たちの救出に寝食を忘れて努力してくれているのに、なおかつそういうこと言うんですかねえ。やはり自覚というものを持っていただきたいですね」と話した。
この発言を聞くと、随分政府は人質解放のために動いたように聞こえる。しかし、政府がいったい具体的に何をしたのかよくわからない。今回の事件で、私が参考にした情報源のひとつに、浅井久仁臣さんのメールマガジン「私の視点」がある。浅井久仁臣さんは30年間にわたり戦争を追い続けてきた第一級の国際情勢ジャーナリストだが、その彼がこう書いている。
<今回の12名からなる逢沢副大臣ご一行様がヨルダンに行って何をしていたか、われわれが知らないとでも思っているのですかね。彼らは色々動いていたと言い張っていますが、私の情報網に彼らの活動は全然引っかかってきませんでした。かつて、ある政治家を通してですが、中東外交に多少の関わりを持ったよしみもあります。今回は、見るに見かねて、人質解放交渉の調停役になりうる人物を、その元政治家を通して外務省に伝えました。
小泉さんは「色々大変な交渉だった」といった趣旨の発言をしていますが、何を指して言っているのか分かりません。まあ、彼が何もやらないでおいて、状況が思った方向に動くと自分の手柄にするのは「小泉流」として周知のこととなりましたが、動きもしないでおいて動いたと言い張り、挙句の果てに、その活動にかかった費用を人質達に負担させようというのは、相当悪質な国家的詐欺ですよ。
実際に「人質救済」に直接かかった費用は、前回算出しました。ご覧のように大した数字ではありません。外務省に多少の良心と国際感覚がまだ残されているのでしたら、直ちにこの問題は終わりにして欲しいものです>
しかし、こうした意見は一部にとどまっている。最初好意的に三人を紹介していたメディアが、途中からいっせに「自己責任」を論じ始め、バッシングに走ったからだ。テレビや雑誌、女性向けのの週刊誌をのぞいてみても、随分3人についての批判記事が目に付いた。
テレビや新聞、雑誌は視聴率や販売競争をしているから、少しでも他社との違いを出そうとして、まんまと政府の自己責任論に乗ったのだろう。そして国民の反応がいいと知ると、いっせいに乗り遅れたら大変と、その方向に動きだしたのに違いない。このことは三人の人質事件がマスメディアによってどのように報じられたか、時系列で検証してみればわかることだ。
事件が発生すると、島村宜伸・元文相は3人の人質に対して、「遊泳禁止の札が立っているのに泳ぎに行ったようなものだ」という厳しい見方を示した。さらに自民党の額賀福志郎政調会長は、「渡航禁止について、法制化も含めた検討を行うべきだ」と提言し、石破防衛庁長官も記者会見で「憲法には公共の福祉の制限がかかっている。『渡航をやめてください』ということも憲法上可能ではないか」と述べた。
こうした自民党の声に公明党が同調し、やがて巨大メディアでも「自己責任」という言葉が、まるで3人を断罪する切り札のようにして、いたるところで使われるようになったわけだ。これにたいして、彼自身ジャーナリストとして身柄を拘束されたことのある浅井久仁臣さんは疑問を呈している。
浅井久仁臣さんが1987年2月、10年以上続く内戦で最悪の無政府状態にあった首都ベイルートに乗り込んだときも、在レバノン日本大使館から、何度も電話で、ときには面と向かって退避勧告を受けていたそうだ。浅井さんの文章を一部編集して引用しょう。
<82年にイスラエルが陸海空三軍挙げてレバノンに侵略し、90日間の戦争でPLO勢力をレバノンから撤退させることに成功したものの、そのあとにイスラエル軍・米軍・シリア軍、そしてそれに加えて大小さまざまな武装勢力が入り乱れて収拾がつかなくなってしまったわけです。
PLOがいた頃には300人以上いた外国報道陣も、次々に誘拐・殺戮をされ、恐れをなして大挙引き揚げてしまい、ついには西ベイルートから外国人ジャーナリストの全てが姿を消していました。
そうした中で、パレスチナ難民キャンプが敵対勢力により包囲され、約2万人の住民が飢餓状態にある中、悲痛なメッセージがキャンプのイスラーム教聖職者から聖地メッカに向けて発せられました。それは、食料が底をついたので戦死した家族や仲間の死肉を食べる許可を与えて欲しいというものでした>
こうした中で、浅井さんはTBSと特派員契約をかわしてベイルートに乗り込んだものの、境界線を渡るとすぐに、イスラム教シーア派ヒズボラーの民兵達に行く手をさえぎられ拘束されたという。そのあと解放されたが、すぐに又拘束され、数キロ先の目的地に着くまで計4回の連行・拘束を受けたという。
しかし、こうして浅井さんは外務省の退避勧告を無視し、拘束にもめげずに前進した結果、難民キャンプの地獄絵図を世界に発信することができたわけだ。浅井さんには讀賣新聞のカイロ支局から取材申込みがあり、状況を話すと、翌朝外信面のトップで紹介されたという。
<しかし、ここでもはっきり申し上げますが、讀賣からは一切金銭は受け取りませんでした。今回の人質問題関連の記事を読んでいて、「自己責任」の旗振り役になっている讀賣新聞ですが、あの時は私に批判めいたことはひと言も発しませんでしたし、逆に私の行動を褒め称えました。
讀賣さんに聞きたいのは、87年のときの私の取材活動と、今回人質になったジャーナリストの違いは何であったか、ということです。確かに、経験や危機管理の面で多少の違いはあったでしょうが、本質的には彼らと私は同じ立場です。
レポートはアメリカの三大ネットの一つでも映像が流され、世界に惨状を伝える事ができました。そして、やがて停戦が結ばれ、住民の飢餓死という最悪の事態は避けられました。
戦争取材では、「勝ち組」から取材すれば、リスクも少なく、軍や政府の側からの評価も得られるでしょう。しかし、ジャーナリストの大きな使命の一つに、世界から忘れ去られた人たちのことを伝える仕事があります。
勝ち組取材を否定するわけではありませんが、大量の爆弾が落とされる側に入って取材するのは、ジャーナリストが忘れてはならない視点です。それはマスコミであろうと、フリーランスであろうと変わりはないはずです。
確かにそういう取材は大きな危険を伴いますし、下手をすれば大使館の世話になることもありえます。だからといって、それがどうして「自己責任」だの「迷惑」などという論議になるのですか。理解不能です。私の周りの欧米人を含む外国人に聞いても全て、ほとんどではなく全てですよ、私の意見に賛成でした。
パウエル国務長官の発言も同様でしたよね。欧米各紙の論調も「人質の家族を脅かす不気味な日本社会」となっていますよ。恐らくここまで激しいバッシングになったのは、3人が揃って反体制派だったからでしょう。自衛隊派遣反対だったからでしょう。国の安全保障になると、自由に物も言わせない社会は、民主主義でもなければ、自由主義でもありません。>
メディアリテラシーの問題としても、これからの時代は巨大メディアに頼ってばかりいてはいけない。インターネットを通して国内、海外の情報を収集し、自分で情報処理する能力が必要になってくる。そうでないと、政府の主導する世論誘導に易々と載せられてしまいかねない。そういう意味で、リアルタイムで毎日数通も配信されてきた浅井久仁臣さんのメールマガジン「私の視点」は、事件の本質を考える上でとても助けになった。
(参考サイト) 浅井久仁臣「私の視点」 http://www.asaikuniomi.com/
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