橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2004年04月24日(土) 批判は誰のためにするのか

 他者への批評や批判は、できることなら、相手のことを考え、相手のことを思ってなされるべきだろう。たとえば、教師が生徒を批評するのは、生徒のためである。日本という国を批判するのも、日本が好きで、これをもっと住み易いよい国にしたいと思うからである。こうした愛情に裏打ちされていれば、お互いに批判しあうことで、かえって信頼関係も築かれていく。

 しかし、今日行われている批評や批判がすべて、こうした他者への愛情や理解に裏打ちされているかというとそうではなさそうだ。批判の名を借りて、相手への非難や誹謗中傷まで行われているのが現実だろう。そこにあるのは他者への理解や愛情ではなく、他者への無理解と憎悪である。

 こうした自己中心的な姿勢からの批判は、かえって反発を呼び、他者との関係に溝を生むことになる。そこから実りあるものは生まれようがない。不毛であるばかりではなく、憎悪と不愉快と敵意を再生産する。

 そこでこうした不幸を生じないために、他者を批判するときには、自分は真実を述べているかということだけではなく、その動機についても、「自分はほんとうに相手のことを思っているのか」「自分のプライドのためや、不平不満のはけ口として他者を攻撃しようとしているのではないのか」と、一度自分の胸に虚心に訊ねてみたほうがいいだろう。

 私もこの日記で夥しい批評や批判を書いている。そのときの私の姿勢は「真実のために」ということが第一であった。しかし、「真実」などというものは誰にもわからぬことである。むしろ、批判を向ける相手に対する理解や愛情をもっと重視したほうがよいのではないかと考えるようになった。そうでないと、真実という独善に陥りやすいからだ。

 こうした他者への愛情を欠いた批評のサンプルは雑誌や新聞にあふれている。今日はそのなかから、曽野絢子さんの文章を紹介しよう。曽野さんを誹謗し中傷しようというのではない。もって他山の石にしたいからだ。

−−−−−−−−−以下、引用です −−−−−−−

「月賦で払うべき」 曽野絢子 (女性セブン5/6号)

 自己責任には金銭もはいります。救出などの費用については、全額かどうかは別にしても彼らはかなりの額を負担すべきです。日本政府を批判するのはいいけど、それなら政府の力もあいてにしないくらいの覚悟がいりますね。国民の税金を自分の思慮の浅さのために使えばいいというものではないでしょう。

 それに、当然政府は身代金を払っています。言葉だけで、人道上解放するなんて甘いことはアラブの世界にはありえませんから。川口外務大臣に対して、礼を尽していないという聖職者の発言がありましたが、それは金の払いが足りないということです。

 それを日本人は、親切だけで帰してくれたと思う。そういう甘い考えは一刻も早くやめるべきです。親切にするけどタダではない、というのがアラブのやりかたなんです。(略)

「イラクの人が嫌いになれない」とかね。好意があればそれでけでイラク国民に通じる、と思うのも幼さです。本当に嫌いになれないかどうかは、日本政府が何もしなくても殺されるはめになっても言える言葉でしょうか。(略)

 金額全額負担は無理として、応分のものを働いて月賦で払っていただいたらどうでしょう。10年月賦、20年月賦でも、国庫に。長期であろうと短期であろうと責任は責任として果たすのが当然でしょう。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加