橋本裕の日記
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| 2004年04月18日(日) |
生きる喜びをわかちあうこと |
昨日は一日、部活(テニス)の試合だった。朝7時半に家を出て、帰宅が6時近くになった。試合の合間にテニス場脇の木陰で、中村哲さんの「医者井戸を掘る」と「辺境で診る辺境から見る」を読み返した。今日の試合の引率には、やはり中村さんの「アフガニスタンの診療所」(筑摩書房)を持参するつもりだ。
中村さんの本を読みながら、私はイラク問題を考え、現在日本で話題になっているイラク武装勢力による人質事件のことを考えた。解放された高遠さんはじめ3人の行動が批判されているが、中村さんならどんな感想を述べるだろう。おそらく3人の行動を「軽挙妄動」などと断罪したりはしないのではなかろうか。「医者井戸を掘る」から少し引用しよう。
<逃げ場もなく、あの旱魃の最中で、水運びに明け暮れ、死にかけたわが子を抱きしめて修羅場をさまよう女たちの声は届くべくもなかった。
いや、女だけではない。一般大衆の声は総て届かなかった。世界のジャーナリズムが聞いたのは、ごく一部の、西洋化してアフガン人とは呼べない人の声であった。
平和は戦争以上に忍耐と努力が要るであろう。混乱と苦痛のない改革はありえない。しかし、それが国家民族の防衛であり、世界の中で課せられた使命であり、戦争で逝った幾百万、幾千万の犠牲の鎮魂である。
私たちの役得は、復活した村々の人々と喜びを共にできることである。そして、それは何にも代えがたい尊いものである。差し出された一杯の冷たい水が美味しく、自分もまた、命を得たような気がした。
この世界の片隅の、見捨てられた一角にこそ、神はその気配を現される。欧米諸団体との確執、これみよがしな国際援助の宣伝と実のなさ、仏跡破壊をめぐる報道、政治的な国際世論、ペシャワールや日本でも騒々しい出来事・・・、心ない我執には見えぬ世界があるのだ。
現在アフガニスタンで進行する戦慄すべき事態は、やがて世界で起きうることの前哨戦に過ぎない。経済不況の危機感も、「地球環境」や「人権」などの美しい議論も、やがてきたるべき破局に比べれば、大したことではないようにさえ思われる。
世界に知られざるこの光景は、私たちが文明と呼ぶものの総体、政治、経済、文化、技術など、あらゆる分野の人間の営みに、危機的実態を根底から問わずにおかない。そして、この危機のさなかにありながら、戯画的な人為の小世界に埋没する我々の姿も浮き彫りにされるだろう>
2001年3月4日、中村さんはパキスタンのペシャワールで、バーミヤンの仏跡が破壊されたことを知った。そして、アメリカをはじめとする国際世論がタリバン政権批判へと一色に塗りつぶされていくなかで、難民達はぞくぞくと国境を越え、ペシャワールの難民キャンプへ逃れてきた。
アフガンを逃げ出してきたのは難民だけではない。各国のNGOや国連組織の要人達、ジャーナリストたちもぞくぞくと退避をはじめた。こうしてアフガンが国際社会で孤立するるなか、中村哲さんは何と首都カブールへ行くことを決意する。カブールには難民がひしめいていたが、医療施設がひとつもなかった。
この計画に誰もが驚いた。中村医師の活動を支援する日本ペシャワール会からも、「安全性はどうなのか」「今タリバン政権に接近するのは得策でないのではないのか」という不安や慎重論が中村医師のもとに寄せられた。これにたいして、中村さんは、「議論は無用である。全責任をとることを覚悟で、計画に変更なしと、皆に伝えた」という。そして、こんな訓辞をしたという。
<われわれはアフガニスタンを見捨てない。人類の文化とは何か。文明とは何であるか。考える機会を与えてくれた神に感謝する。真の人類共通の文化遺産は、平和と相互扶助の精神である。それは我々の心の中に築かれるべきものである>
こうしてペシャワール会は当時もっとも危険と思われたタリバンの占拠するカブールへ進出し、そこで5つの診療所を開いた。そのうちの3つは、タリバンと対立し戦闘のなかで難民となったハザラ族のすむ地域にひらいた。なぜなら、彼らが一番ひどい状態に置かれていたからだという。
このころカブールは「全市が巨大な難民キャンプ」だったが、なかでもハザラ族の居住地が悲惨だった。中村医師の方針は「もっとも困ったところへ、もっとも困った人々のもとで」ということだったが、貧困な地域を選ぶと自ずとハザラ族が主な対象になったのだという。
ところが、もっとひどい状態のところがあった。それはハザラ族の出身地である、北部バーミヤン地方である。中村医師はさっそくそこへ調査にでかけることにする。しかし、バーミヤンは仏跡問題が起こり、タリバン政権がもっとも神経を尖らしている危険地帯であった。
そして案の定、中村医師はバーミヤンのタリバン兵に拘束されてしまう。生殺与奪の権をにぎる駐屯軍の隊長らしい人物は若干25歳前後で、精悍な表情をしている。昨日も戦闘があったとのことで、気が立っていたが、中村医師は日本人で、カブールで医療活動を展開しているNGOだと知ると態度を和らげ、「無礼をお許し下さい。私も任務でやむを得なく拘束したのです」と丁寧にわびたという。
バーミャンの惨状を視察した中村医師は後日を期して首都カブールへ帰り、医療活動に専念することになる。5つの各診療所には毎日100名から150名ほどの患者が訪れたという。再び「医師井戸を掘る」のなかから中村さんの言葉を断片的に引用してみよう。
<カブール在住の医師以下、新職員は、薄給にもかかわらず身を粉にして働き、多くの人々に安堵感を与えた。ペシャワール会は捨て身であったが、まさにその捨て身の誠意が、旱魃と戦乱に疲れた見捨てられた人々の心に新風を吹き込み、勇気づけるものであった。
私が帰国して感じたのは、あふれるモノに囲まれながら、いつも何かに追いまくられ、生産と消費を強要されるあわただしい世界であった。
「餓えや渇きもなく、十分に食えて、家族が共に居れる。それだけでも幸せだと思えないのか」というのが実感であった。生死の狭間から突然日本社会に身をさらす者は、名状しがたい抵抗と違和感を抱くだろう。
携帯電話を下げた若者、パソコンの大流行、奇抜なファッションで身を飾る一群の世代の姿は、異様であった。「この国の人々は何が不満で不幸な顔をしているのだろう」と思った。
戦後、米国の武力で支えられた「非戦争状態」が、本当に「平和」であったとはいえないのだ。朝鮮戦争を想起せずとも、日本経済は他国の戦争で成長し、我々を成金に押し上げた。日本開闢以来、今ほど日本人が物質的豊かさを享受した時代があっただろうか>
中村さんの言葉を味わいながら、私はあることに気付いた。それはアフガンにあって、日本にないものなにかと言うことだ。日本にはなるほど溢れるほどの文明の果実がある。人間の欲望を満足させるさまざまなサービスやモノがあふれている。しかし、肝心なものが欠如している。それは「一杯の水をわかちあうよろこび」「生きる喜びをわかちあうよろこび」ではないだろうか。
私は今回のイラク人質事件で高遠さんたち平和活動家を声高に批判する人に問いただしたいと思う。あなたは高遠さんが見たイラクの悲惨をみたことがあるのか。両親を戦火で失い、街角でぼろのように眠り、シンナーに溺れる少年たちの絶望に思いをはせたことがあるのかと。あなたは中村医師がアフガンで見たものを見たことがあるのか。餓えた子供を抱き、家族をやしなう水をもとめて、砂漠をさまよう母親の悲しみに一度でもよりそってみたことがあっただろうか。
このたびの日本人人質事件で浮き彫りになったのが、暖衣飽食し、戯画的な人為の小世界に埋没し、一片の想像力すらもちあわせていない、無知で軽薄でケチな日本人の自画像ではないだろうか。人々はアフガンやイラクの砂漠化した国土にすむ人々を気の毒がっているが、そうした辺境にあって、彼らとともに生きる喜びを味わっている中村医師から見れば、私たちこそがもっと貧しく、絶望的な砂漠の住人のように見えることだろう。
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