橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
| 2004年04月03日(土) |
国歌が好きになれない |
私は教員になって、ずっと一人で生きてきた。つまり、いかなるセクトにも属さないでやってきた。組合もふくめて、そうした個人の自由に干渉する組織や仲間が嫌いなのだ。人からあれこれ言われて、強制されるのがいやでいやでたまらない。昔からそうした性格だった。
そのかわり組合の意見にも文部科学省や教育委員会の意見にも耳を傾け、是々非々で考えてきた。その際、自分なりの判断が出来るように、経済、歴史、政治については、ずいぶんと勉強したつもりだ。特定のイデオロギーにとらわれず、あくまで自分の頭で考えて納得したいと思ったからだ。
そうしたわけで、極端な集団主義や国家主義は嫌いだ。しかし、国旗・国歌については、私はそうしたものが存在することは当然だし、教員や生徒が自国の国歌や国旗に敬意や親しみを抱くことも好ましいことだと考えている。愛国心も否定しない。じつのところ、私は日本の文化や自然が好きで、私自身は自分を愛国者だと思っている。
もっとも現在の日本の国歌や国旗をそのままみとめるのがいいのかどうか、特に「君が代」には疑問がある。卒業式の国歌斉唱では起立するが、あまり真剣に歌う気がしない。それは私が歴史を学び、同じ国歌と国旗のもとで、侵略戦争が行われたことを知っているからだ。
主権在民の新憲法のもと、「君が代」の歌詞が民主主義を標榜する国の国歌にふさわしいとは思えない。だから、私はうたい気にならない。おそらく強制されてもなおさら、歌わないと思う。そもそも愛国心は強制されるべきものではない。そして、憲法には「思想・信条の自由」が基本的人権として明記されている。狭隘な国家主義イデオロギーを押しつけられてはかなわない。
大切なことは、私たちがだれしも自国に誇りをもち、心から愛することができるような、そんな国作りをすることだ。強制ではなく、自然な感情で国を愛することだ。そのためには、戦争責任についてもうやむやにせず、しっかり反省し、学校で現代歴史をしっかり教えるべきだ。それからもっと、世界のことを考え、常日頃から平和的に世界貢献すべきだと思う。
組合には入らないが、どちらかというと私は組合のシンパで、北さんやtenseiさんのようなタイプの自由な思想を持った組合員はとくに好きだし、尊敬もしている。組合がなくなったらどういうことになるか、愛知県では組合組織さえ存在しない学校もあり、そうした学校で勤務した経験があるので、労働者の人権や労働条件の改善を要求する組合の必要性は骨身にしみてわかっている。
私が勤務した三河の県立高校では、毎朝、生徒も職員も校門を入ると、正面の国旗に最敬礼していた。毎朝、グランドには当番の生徒と教師の手で、国旗が掲げられ、そのあいだはグランドで部活動をしている生徒や教師は直立不動で頭をたれていたものだ。
この儀式は、放課後も行われ、まったく同じようにして国旗が降ろされた。毎週朝礼があり、その際はかならず、国旗の掲揚と国歌斉唱があった。皮肉なことに、私が国旗の掲揚と、君が代の音楽を流す係りだった。朝礼の度に、とても緊張したものだ。
この高校には厳しい校則があった。たとえば、昇降口の下足の入れ方にも決まりがあって、指導部が毎朝チェックして、担任に違反者を報せていた。私のクラスに違反の常習者がいて、「靴の向きくらいどちらでもいいじゃん」と言って聞かない生徒がいた。その生徒は職員室の担任(つまり私)の傍らで、一時間正座させられていた。規則に従うことがすべてだったのである。(参考、2003年2月14日の日記)
この学校には組合はなかったが、別の「教育会」という組織があり、そこに入らないでいると、教頭や主任から、「君はなぜ入らないのだ。この学校で入っていないのは君も含めて三人だけだ」といわれ続けた。現在愛知県では組合の組織率は2割を切っているのではないだろうか。これにたいして、「教育会」の組織率は5割を超えているように思われる。(だれか、正確な数字を知っていたら、教えて下さい)
私がこうした右翼的で管理主義的な県立学校に勤務していたのは、もう20年近く前のことで、その後は世間の批判もあって改善されたと思う。少なくとも現在勤務している学校ではこうしたことはない。それでも、自衛隊のイラク派兵にも見られるように、世の中がこの数年で変わってきている。全国的に労働組合が弱体化し、組織の崩壊が進む中で、東京都のような強権的な手法が他県にまで波及するのは時間の問題かも知れない。
はっきりいって、これは「教育の死」だと考える。なぜなら学校とは、「自分の頭で考えることのできる人間」を育をてるところであって、ただ従順で、長いものにまかれるだけの保身的なロボットをつくる工場であってはならないからだ。そのために、教師もまた自由な個人として、「千万人といえども我ゆかん」(孟子)の気概を持って生きたいものだ。
|