橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2004年03月30日(火) 最初の首相は誰か

 何事にも事始めがある。民主主義や資本主義といったものも、昔からあったものではない。歴史の中で生み出され、発展してきたものだ。今日は「内閣」や「首相」という制度がどのように生まれたのか、その歴史を調べてみよう。

 1688年にイギリスで「名誉革命」が起こり、翌年、議会は国王に「権利の章典(the Bill of Rights)」を認めさせた。これによって、王を任免する権利とあわせて、立法権、徴税権、軍事権が議会にあることが明らかになった。

 それでもなお行政は国王に委ねられていた。国王が任命した大臣たちが、議会と協同しながら行政を行っていたわけだ。国王も閣議に出席していたが、1714年に即位したジョージ一世の頃から閣議に出なくなった。そこで国王の代理として閣議を主宰する役職が必要となり、やがてその地位が確立されて「首相」という制度が生まれた。

 初代の首相と目されるのは、ロバート・ウォルポール(1676−1745)だ。1721年から1742年までその地位についていた彼は、内閣と議会を結び付け、王の政治に対する影響力を減らした。そして、下院(庶民院)が彼を支持しなくなったとき、彼は首相を辞任した。

 イギリスは習慣法の国だ。上院に対する下院の優位も成文法として明記されているわけではない。しかし、下院の支持を失った首相は辞任することが慣例として踏襲されている。これはウォルポールが、そのような前例をつくったからだ。そして下院の多数をしめる政党の党首が首相につくことが決まりになった。

 ところでウォルポールは何故、下院の支持を失ったのか。それは長期政権で政治の腐敗が進んだからだ。彼の有名な言葉に、「Every man has his price. 」(人それぞれに値段がある)というのがある。これは「賄賂の利かない人はいない」と訳される。ウォルポールは反対派を黙らせるのに、「言論」ではなく、「買収」という方法を用いた。たしかに「平和的」な方法ではあるが、これでは「金権政治」と言われても仕方がない。

 本当の民主主義はいうまでもなく、「言論」によって生まれる。言論の力で議会を動かし、政治を動かした代表的なイギリスの首相がディズレーリだ。イギリスの立憲政治は、ウォルポールに始まり、ディズレーリが完成したと言われている。明日の日記で、ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1804-1881)について書いてみよう。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加