橋本裕の日記
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2004年03月28日(日) デモクラシーを支える教育

 アテネで民主主義が生まれた背景には、ペルシャ帝国との戦争がある。この戦争に勝つ抜くために、アテネの民衆は一丸となって戦った。そうしたなかで選挙権をもたなかった下層市民の発言権が増していった。ペリクレスの民主政治はこうした背景の中で生まれた。

 オランダで世界最初の市民革命が起こったが、これも強大なスペイン帝国との戦いに勝利することで、市民の団結が生まれたためだった。イギリスやフランスでは絶対王制に対する戦いの中で、民権の拡張が行われた。

 アメリカの場合は、大英帝国との戦いのなかで民主主義が形成された。アメリカの独立宣言が有名だが、しかし、この段階ではまだ民主主義とはいえない。選挙権が大土地所収者などの富裕階級に制限されていたからだ。

 当初アメリカが目差したのは小数の金持ちによる政治支配、すなわち「富裕階級による共和政治」であった。そして彼らは「民主主義」を脅威と感じ、嫌っていた。その証拠に、独立宣言にも、憲法にも、初代ワシントン大統領の就任演説のなかにも、「民主主義」という言葉は一言も出てこない。

 なぜ、彼らが民主主義を嫌ったのかといえば、民衆は無知蒙昧で、とても政治をする能力がないと考えたからだ。そうした貧しい民衆が権力を握ったら、社会が混乱するに違いないし、金持ち階級の様々な特権も剥奪されるに違いない。すべての成年男子に等しく一票を与える普通選挙など、とんでもないことだと考えた。

 この流れを変えたのが、貧しい開拓民の孤児アンドルー・ジャクソン(1767年〜1845年)だった。彼はスコットランド移民の子として生まれた。父親はジャクソンが生まれる前に溺死し、13歳で独立戦争に志願、帰ってくると母親も二人の兄も死んでおり、彼は天涯孤独となった。

 しかし逆境にもめげず、独学で法律を勉強し、21歳のときテネシー州ナッシュビルで弁護士を開業した。29歳で下院議員。翌年には上院議員。やがてはじまった米英戦争にテネシーの民兵を率いて参戦。華々しい戦果を挙げて米軍の劣勢をくつがえし、一躍英雄になった。そして、1828年に第7代大統領に就任した。
 
 従来の政治指導者はいずれも上流階級だったが、ジャクソンは貧しい開拓民の子供でしかも孤児だった。その彼が上流階級出身のアダムスを破り、貧しい庶民として「丸太小屋からホワイトハウスへ」と上り詰めた。こうしたことが可能になったのも、イギリスを相手にした困難な戦いがあったからである。

 やがてジャクソンを支持する人々は「民主党」と呼ばれるようになった。彼の指導のもと、政治は民主化され、さらには地方分権が進展した。各州で選挙制度改革が実現し、次々と財産資格が廃止されていった。たとえば彼が大統領になった年には24州中20州で男子普通選挙権が与えられた。ちなみにフランスでは1948年にやっとこれが実現している。アメリカは他国よりも100年も早くこれを実現した。

 とくにジャクソンの業績としてあげられるのは、教育制度の確立だった。「教育こそが民主主義を支える」という信念を持っていたジャクソンは、授業料なしで学ぶことができる公立学校をたくさんつくった。また高等教育にも力を入れた。1800年には24校しかなかった大学が、1860年には240校以上に増えた。じつに、ジャクソンの時代にその数が10倍も増えたのである。これはヨーロッパ全体の大学の数よりも多い。

 民主主義が成立するためには、庶民にまで教育が普及していなければならない。日本はすでに江戸時代に寺語小屋教育が全国に普及し、7割をこえる識字率を誇っていた。明治維新のあと急速な近代化が可能になったのはこうした庶民の教育水準の高さがあったからだ。デモクラシーは戦いのなかから生まれてきた。しかし、これを支えるものは教育である。民主主義は賢明な民衆によって支えられる。そうでなければ衆愚政治である。


橋本裕 |MAILHomePage

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