橋本裕の日記
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33.花のたましい
テレビ塔の展望台から、島田が入院している病院やS工業のビルも見えた。しかし、高所恐怖症の修一はすぐに目を上げて、遠くの山並みを見た。それから葉子と二人で展望台をひとまわりして、かたわらのベンチに腰を下ろした。この数日の寝不足で、修一はつかれていた。葉子も少し血色が悪かった。
「美智子ちゃんがこの世にいないのだと思うと、変な気分」 「何だか信じられないね」 「病院に勤めていると、死はいつもあるの。だから、半分は麻痺しているのだけど、今回だけは少し参ったわ」
葉子がいつになく落ち込んでいるのは、少女の死が尋常でなかったせいだろう。半年間親身になって世話をしてきただけに、なんだかわりきれないやりきれなさがあるようだ。修一にはそんな葉子の気持がわかった。
「島田は何とも感じていないようだね」 「食事の量が少し減ったみたい」 「それは意外だね。風邪でもひいたんじゃないのかな」 「島田さんは大丈夫かしら」 「あいつに限って、飛び降りたりはしないよ」
島田が記憶喪失を装っているというさと子の言葉を、もう一度思い浮かべてみた。もし、島田がほんとうに快復しているだとしたら、どうして修一や葉子に隠すのだろう。世間の荒波からしばらく身を隠していたいからだろうか。他にたくらみがあるのだろうか。
少女が病室を抜け出したとき、島田は病室にいたらしい。島田の枕元には、看護婦詰め所に通じる呼び出しボタンがおいてあり、その気になれば看護婦を呼ぶことができる。少女がベッドから起きあがり、病室を抜け出すのをただ見ていたとは考えにくい。何もしなかった島田は眠っていたのだろうか。
展望台のガラス越しに日差しが斜めに足許に伸びていた。目を閉じると、いつか喧噪が遠のき、うとうととした。目を開けると、葉子が地下街で買った「金子みすヾ」の詩集を膝の上に広げていた。「花のたましい」という詩を、修一も横から読んだ。
散ったお花のたましいは、 み仏さまの花ぞのに、 ひとつ残らず生まれるの。
だって、お花はやさしくて、 おてんとさまが呼ぶときに、 ぱっとひらいて、ほほえんで、 蝶々にあまい蜜をやり、 人にゃ匂いをみなくれて、
風がおいでとよぶときに、 やはりすなおについてゆき、
なきがらさえも、ままごとの 御飯になってくれるから。
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