橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2004年03月03日(水) 民主主義は戦争を抑止するか

「自由主義的民主主義国家間には戦争は不可能である」という考え方がある。これをはっきり論文の形でのべたのはプリンストン大学のマイケル・ドイルらしいが、エマニュエル・トッドも「帝国以後」の中でこう書いている。

<単なる良識からしても、教育水準が高く、満足すべき生活水準を有する国民が、大規模な戦争を宣戦することも辞さないような議会の多数を選挙で生み出すのは困難であると納得できよう。似たような政治組織を持つ二つの国民は、互いの紛争に不可避的に平和解決を見出すであろう。しかし非民主主義的・非自由主義的な体制の指導権を握る、理の当然として他からの掣肘を受けることなき徒党の方は、一般に通常人の大多数に宿っている平和への欲求を踏みにじって、戦争を始める決定を下す行動の自由をはるかに多くもつだろう>

 民主主義国家は戦争に消極的で、むしろ平和に荷担するというのは、いうまでもなく、「大多数の人間は戦争より平和が好きだ」ということを前提にしている。しかし、民主主義国家は戦争を仕掛けないというのは、今回のアメリカのイラク攻撃を見れば分かるように、自明な真理とはいえないのではないか。過去にさかのぼれば「アテネ帝国」の例もある。

 それに「昭和史の決定的瞬間」(坂野潤治、ちくま新書)などを読むと、日本がしかけた先の大戦も、「戦争は民主勢力の躍進の中で起こった」とするのがほんとうらしい。民主主義が平和をもたらすというのは神話に過ぎないように思われる。「通常人の大多数に宿っている平和への欲求」もそれほど堅牢とはいえない。むしろ民衆は熱狂を好む。

 また、非民主主義国家の指導者がとくに戦争好きだというのも疑問である。トッドの表現を借りれば、彼らこそ「教育水準が高く、満足すべき生活水準を有する」エリートだからだ。

 もっとも、トッドが言いたいのは、「民主主義国家が平和的だ」ということではない。実はこのテーゼを使って、好戦的な現在のアメリカは、それゆえに「民主主義的ではないのではないか」と、疑問を呈しているわけだ。つまり、アメリカで民主主義が後退しているということを示すことが彼の本意なのである。

 アメリカで民主主義が後退していることは、昨日の日記でも引用したように、黒人層での乳幼児死亡率が異常に高くなっていることから、トッドが論理的に証明している。トッドのこの本はこの点でとてもすぐれている。ただ、「民主主義国家間には戦争は不可能である」という前提は自明とはいえない。

 民主主義に絶対的価値をおくこうした考え方は、トッドだけではなく西欧の啓蒙的な文明主義者に共通している。のみならず、これはアメリカのネオコンの論理でもある。しかし、民主主義はひとつの制度であって、それが必ずしも善を生み出すとは限らない。民主主義が悪を生み出す場合もある。

 私はアメリカが好戦的なのは、民主主義が後退しているからではなく、むしろ経済の体質の問題だと考えている。アメリカの経済の仕組みが、貧富の差を生みだし、社会を非民主的なものにし、同時に、世界に対して対立的・好戦的にしている。つまり民主主義の後退と好戦的ということは、共通の経済的要因から生まれた結果だと考える。

 トッドは人口学者らしい切り口でアメリカを分析している。その手際のよさには感心する。経済についても多くの紙面を使い、データーを駆使して、その実態にかなり鋭く迫っている。しかし、民主主義についての理解の仕方が、やはり人類の歴史を「野蛮から文明へ」とみるパラダイムの呪縛を脱していない。

 ハンチントンは人類の歴史を「文明の衝突」という観点から描き出している。複数の文明を認めて、「文明の相対主義」の立場に立っているが、彼の本音は西洋文明の擁護にあり、彼の思想も西欧的啓蒙主義のDNAによって支配されている。明日の日記では、「文明」に対するもう少し違った考え方を紹介してみたい。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加