橋本裕の日記
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2004年02月19日(木) 利己的社会の経済学(4)

 前首相の息子だというその青年が、国に帰るように忠告して、そのまま立ち去ろうとするのを、私はあわててひきとめた。向かい合ってしばらく顔を見合わせたあと、私はおもむろに訊ねた。

「私はあなたたちのお役に立つためにやってきたのです。その私をなぜ追い返そうとするのでしょうか。私の話のどこが気に入らないのか、おっしゃっていただけませんか」 

「私もお互いを信じあうことが社会の基本だと思っています。しかし、多くの人々はお互いを信用していません。あなたがおっしゃるように、信じあうにはあまりに過酷な環境で育ってきたせいかもしれません」

「あなたはどうですか。人を信用することができないのですか。たとえば、この私を信用することはできませんか」

「両親は私を愛してくれました。心を許しあえる友もいました。それゆえ、私は人を信じることができました。しかし、私のような恵まれた環境で育った人間は、この国では例外なのです。私の父も、例外の一人でした。人のために、自分を犠牲にすることを厭わない人でした。しかし、父はこの国の人々に理解されませんでした。そして、ある日、宮殿の屋上から身を投げて、死んだのです。その日以来、私はこの国で起こることが信じられなくなりました」

 私は青年の淋しい目を見た。「お父さんの死も疑っているのですか」という問に、青年は長い沈黙のあとでうなづいた。そして、声を落として、意外な事を打ち明けてくれた。

 この国では恐ろしい計画が進行していたのだという。それは軍事力を備えて、隣国、すなわち私の国を侵略することだった。しかし、そのための武器を作るが資金がなかった。そこで、隣国から援助の名目で軍資金をせしめようとしたが、青年の父親はこの計画に反対だった。だから殺されたのだという。

「王は軍事計画にあえて反対しませんでした。しかし、父の死は王にとっても衝撃でした。王もまた父の死を疑い、軍事計画に慎重になりました。父を死に追いやった大臣達も、王の不興を買って動揺しています。その上、彼らは計画を実行するための資金を得られませんでした。かわりにあなたが現れ、経済の基本は信用などと聞かされて、ますます混乱し、不安にかられているのです」

「この国へ来て、私は孤独でしたが、あなたのような青年がいることを知って、元気づけられました。私は国へ帰ろうとは思いません。この国にとどまり、この国を平和で豊かな国に変えて行きたいと思います。ところで、あなたには信頼できる友はいますか」

「いまとなって私が信頼できるのは母と、それから、私の従兄弟だけです。私はあした彼をあなたに紹介したいと思います。彼はきっと私たちの力になってくれます。彼は王の息子で、しかもこの国の皇太子です」

 青年の聡明な目にはいつかかすかな希望の光が輝いていた。私は青年に近づき、その肩を抱いた。青年はしっかりした体格をしていた。そして、とてもよい香りがした。


橋本裕 |MAILHomePage

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