橋本裕の日記
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| 2004年02月18日(水) |
利己的社会の経済学(3) |
私が語った「信頼というものがなければ経済が成り立たない」という話は、この国の人々の心に届かなかっただけではなく、大きな反発を与えたようだった。それはこの国の一番痛いところを突いていたからだ。人は誰しも自分の一番の弱点を突かれると反発する。それはむしろ自然な反応と言ってよかった。
この国の人々は人を信じることができない。人間とはお互いに敵だと思っている。それは幼い頃から家庭でそう言い聞かされて育っているからだろう。そして、学校や社会へ出てからの競争を通して、ますますこの確信を深めることになる。世の中は善意からではなく、悪意で成り立っているということだけを信じるようになる。
この国の人々が信じているのは自分自身か、自分の身内だけである。いや、正確に言うと、自分自身さえ信用していない。それは他者に対する信頼は、あるていど自分に対する信頼に基づいているからだ。他者への不信は、自分への不信の投影なのだ。
この国の人々は、自分自身を含めて人間というものを信用していないので、「信用がなければ経済が成り立たない」などといわれると、途方に暮れてしまうのだ。そして反発し、その反発はやがて憎悪や攻撃に変わる。
私は行動を常に監視されるようになった。どこへ出かけても、尾行がつくようになった。私は役人にこのことを尋ねると、「監視ではありません。あなたの身の安全のためです。近頃、物騒になりましたからね。命が惜しかったら、言動を慎んでください」とのことだった。
役人は私を脅しているだけなのだろうか。それとも本当に、私の身に危険が迫っているのだろうか。たとえ身に危険が迫っているにせよ、私は自分の国に逃げて帰ろうとは思わなかった。実のところ、私はこの国に来て、自分が今までになく生き生きとしているのを感じていた。この国を変えたいという思いが、私のすべてになっていた。
私は自分から進んで、大臣や、学者や、多くの経済人と個人的に話をした。私の話は依然として彼らの心に届かなかった。彼らは反発し、怒り、私を世間知らずのお人好しだと言って笑った。そして最後に、私にはやく国に帰るように忠告することを忘れなかった。
私は宮殿のなかに一室をあてがわれていた。しかし、王様は私を近づけようとはしなかった。王様が私に不快感を持っていることは明らかだった。しかし、私は一目見たときから、この王様はそれほど馬鹿ではないと見抜いていた。
この国の人々の視線には独特な棘があった。それは彼らの心の棘なのだろう。しかし、ほんのたまにだが、私は棘のない目に出会った。とくに私の注意を引いたのは、一人の青年だった。彼は最初の私の話の時は一番前で聴いていた。私は彼の聡明な目にやがて気付いた。
その青年と次ぎに会ったのは、宮殿の廊下だった。彼は無言で私に礼をした。通り過ぎてから、私は近くの役人に彼の素性を訊いた。彼は王族の一人で、父親は王様の弟だったが、少し前に死んだのだという。生前は王様の片腕として首相を勤めていたらしい。私は今度その青年にあったら、自分から声を掛けてみようと思ったが、その必要はなかった。
ある日、彼の方から私を訪ねてきた。私は喜んで彼を迎えた。 「あなたに忠告しようと思ってきました。今すぐ、国に帰られた方が身のためだと思います」 彼もまた役人や学者たちと同じことを口にした。しかし、その静かな口調に敵愾心や憎悪はなかった。ほんとうに私の身を案じているらしいまごころの響きがあった。
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