橋本裕の日記
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2004年02月13日(金) 初秋

27.いい表情

 鰺の開きを肴にしてビールを飲んでいる修一の耳に、二人の客の会話が自然に届いてきた。
「あんまり深入りしないほうがいいよ。若い女は怖いからな」
「わかっているよ。わかっていながら、やめられない」
「かくすればかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ恋の道かな」
 まだ宵の口だが、二人ともかなり出来上がっていた。

 修一は葉子のことを思いだした。病院から電話に出たとき、あわてて着たワンピースの背中が割れて、白い背中の肌が覗いていた。そしてブラジャーの一部が見えた。そのときは何気なく眺めていたが、思い返してみると、それはかなり扇情的な光景だった。電話が終わって、頭に巻いたタオルを外した葉子の仕草も思い浮かんだ。

 葉子から喫茶店に誘われ、そのあと彼女の部屋を訪れたことが、修一には信じられない出来事だった。これまでの人生でそのようなことはなかった。いまのところ葉子にとって修一はあくまで島田の親友でしかないのだろうが、こうしたことが続くうちに、何か思いがけないことになるかもしれない。

「何かいいことでもおありになったの」
 さと子がビールを注ぎながら訊いてきた。
「いや、どうして」
「いい表情をしているからよ」
「いい表情かね」
「そうよ、いい表情」
 さと子はそう言って笑った。

 これまで女からこんな風に誉められたことがなかった。「いい表情」というさと子の言葉は、何やら曖昧だが、誉め言葉としては悪くはなかった。
「君も、いい表情をしているよ」
 修一はさと子にいつにない親しみを覚えた。

「まあ、びっくり」
「何を驚くことがあるのだ」
「沢田さんが冗談をいうなんて、びっくり。でも、うれしい」
「一杯やらやらないか」
 修一が差し出したビールを、さと子はグラスに半分だけ受けた。


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