橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
| 2004年02月11日(水) |
利己的社会と利他的社会 |
A君に100万円が元金として与えられたとしよう。A君はそのお金の中から好きなだけB君に贈与することができる。B君に贈与されたお金はたちまち利潤を産み、4倍に増殖することがわかっている。さて、そこで自分がA君の立場になったつもりで考えてみよう。自分ならB君にいくら贈与するだろうかと。
A君には100万円すべてを贈与するという利他的な選択肢がある。そうすると、B君のもとでそのお金は400万円になる。もし、B君がA君にその半分の200万円を返してくれたら、A君のお金は倍増する。しかし、B君がお金を一銭も返してくれなかったらどうだろう。A君は元金をすべて失い、反対にB君は400万円をまるごと得る。
A君には一銭も贈与しないという選択肢もある。この場合、100万円がまるごとA君の手に残る。B君は残念だが一銭も手にすることができない。A君の戦術としては、こうした贈与率0パーセントの完全に利己的な選択から、贈与率100パーセントの完全に利他的な選択まで、さまざまな段階が考えられる。
そのどれを選ぶかというのは、A君がどれだけB君を信用しているかにかかっている。もしA君が完全にB君を信用していたら100パーセントの贈与率を選ぶだろう。もしB君が人の良い善人だったら、増殖した400万円を全額返してくれるかもしれない。その場合のA君の持ち金は4倍にもなる。反対に、B君が信用できない場合は、贈与を見送るだろう。利益はないが、100万円という元金は確保できる。
文化人類学者の国際プロジェクトとしてこれに似た実験が行われている。その結果について、カルフォルニア工科大学教授の下条信輔さんが、2月9日の朝日新聞夕刊に掲載された「利己と利他」という文で紹介している。それによると、AのBへの贈与率はニューギニアの狩猟民族では1/5、ケニアの遊牧民で1/3、アメリカの農民の場合は1/2で、経済活動やマーケットの規模に比例して増加する傾向があり、Bからの返還額も経済先進国ほど大きかったという。
<経済が進むと人々はせちがらくなるという見方では、この結果は納得しにくい。しかし考えてみると、未開社会の人々は物々交換しか信じないが、社会が進むにつれて貨幣が流通し、やがてクレジットカードが通用するようになる。・・・・株や証券の持つ価値というものも、他人への信頼の上に成り立っている>
経済活動の根底に「信用」がある。だからこの「信用」の崩壊は経済の崩壊につながり、ひいては政治や社会そのものの崩壊につながる。経済活動をたんなる「利潤の最大化」で割り切ることはできない。それはその社会を構成する人々の「お互いに約束を守り、信頼しあう」という倫理力にもっとも依存している。下条信輔さんの文章をもうすこし引用しておこう。
<相互の信頼が市場の拡大と成熟をもたらし、それがさらなる信頼をもたらす。経済社会はこの増幅回路で進化するらしい。事実、商取引だけではなく飛行機などの輸送機関、IT環境などの公共メカニズムは、本来「性善説」に基づく相互の信頼を前提としている。商店の店構えや通勤電車、情報が自由に流通するインターネットなどは、利用者の大多数が悪意を持つという前提に立ってはいない>
<ここで利他といっているのは無制限の自己犠牲とは違い、他人を信頼することで自分もより良く生きようという、平凡だが健康な発想だ。これはドーキンスの有名な「利己遺伝子」説とも矛盾しない。この説が受け入れられた理由は、逆説的だが、動物の「利他的行動」をもうまく説明するからだ>
<訴訟社会、権利主張社会といわれるように、現代の表層では利己主義が幅をきかせている。しかし深層では他者への信頼を糧に、マネー社会が成熟すると見ていいのだ。ただインターネット上の株取引やオークションに見られるように、ITとグローバリゼーションが「他者」をますます間接的、仮想的なものにする。直接会っているときに働いた身体的で暗黙的な信頼が、うまく作動しない場面もあるだろう>
<汚職やインサイダー取引、そしてテロのような内部矛盾を、先進社会は乗り越えてゆけるだろうか。経済と心の行く末は、仮想の他者を信頼できるか否かにかかっている>
さきほどの贈与のゲームに戻ろう。A君やB君の立場を離れて、社会全体の立場に立つなら、A君の贈与率0という選択は、富の増加をなんら産まないわけで、彼が身を置く「利己的社会」は必然的に発展性のない社会になる。こうした社会に支配的な思想は、他者に敵対的な性悪説であり、人間不信にみちたペシミズムの哲学であろう。
反対に、もしA君が完全に相手を信用し、すべてを贈与した場合、その社会的富は4倍にも増える。A君がこうした思い切った行動がとれる「利他的社会」は非常に発展性の高い社会である。利他的に振る舞うことが、その見返りを産み、同時に自己をもゆたかにするわけだから、そのような社会は最高度に倫理的であり、かつ個人的にも満足度の高い居心地のよい社会だ。そこでは利己的ということと利他的ということが矛盾せず、より高い次元で豊かな実りを結んでいる。
経済現象を表層だけみれば、それはあくなき欲望と利潤追求の場のようにみえる。しかし、そのような現象の背後に、「信用」という文化的な価値が存在している。キリスト教が資本主義の精神的支柱として資本主義を育てたのもこのためである。
どうように日本の近代化の背後に、儒教精神を背景にした精神世界の形成があったことも注目されてよいだろう。こうした「他者への信頼」を基盤とする文化を、どれだけ維持し、発展させていけるか、日本と世界の未来がここにかかっているわけだ。
|