橋本裕の日記
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家庭内での幼児や児童に対するいじめや虐待事件が頻発している。子育ての意欲も愛情もなく、責任感も義務感もない、人間的に未熟な親を持った子供は悲惨である。北さんなら、「親の資格審査が必要だ」と言うかも知れない。
人はだれでも自分が両親から愛されていると思いたい。虐待されている子供たちの多くも心の中でそう思い、「愛されているという幻想」のなかに逃避して、厳しい現実から目を背けようとする。こうした幻想を持ち続けて、ある意味ではしあわせな自己欺瞞の一生を終わる人もいるだろう。
虐待が深刻な場合は、それがトラウマとなり、成長したあともその人の性格に何らかのゆがみを残し、ときには現実に適応できないような人格障害や精神的疾患をもたらすこともある。こうした人たちを救済するために専門的な心理療法が必要になる。
心理療法の第一歩は、障害の原因をあきらかにすることだ。原因が分かればこれを克服する道も開ける。そしてそのためにカウンセリングや集団トレーニングが行われる。しかし、深刻な虐待を受けている人は心の傷も深くて、過去のトラウマを自覚させるという真実への旅が、かえって症状を悪化させることもある。
アメリカでは、心理療法で自分の過去の真実に目覚めた被害者たちが、加害者の親を相手に訴訟を起こすケースが頻発しているという。真実を知った結果、よけに憎悪や不信が深まり、人生に絶望して自殺することもある。真実を知ることは、幸せへの第一歩とはならずに、憎悪と絶望への入り口になるときもある。
子供を虐待する親は、自身虐待を受けていた場合が多い。だから親もまたかわいそうな存在なのだ。憎しみが憎しみを生みだしている訳だから、これは根が深くて、いまさらどうにもならない。そこで必要なのは心の切り替えである。ラッセルが書いているように、心を外に開いて回りの自然や社会に関心を向ければ、たくさんの挑戦すべき問題があり、生き甲斐の種がみつかる。そこにもっと生き生きとした喜怒哀楽が待ち受けている。
過去への過度なこだわりを捨て、現在や未来へ心を向けること、自分をありのままに受け入れてくれる人々と共に生きることの喜びをわかちあうこと、人間がしあわせに生きる処方箋はこれしかないように思われる。よき心理療法家とは、過去を暴く裁判官や弁護士ではなくて、人生の同伴者であり、道先案内人なのだろう。
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