橋本裕の日記
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| 2004年01月28日(水) |
何のために、何を、どう学ぶか |
毎日新聞の「論点」に、建築家の安藤忠雄さんが、「責任ある個人よ育て」という題で、「次代を担う子供には保護より自立を重視すべきだ」と書いている。現在の日本のさまざまな意味での国力の低下は、「人間を、責任ある個人として育てられない、社会構造に源があるのだ」と主張している。
<問題は、彼らが文字通り自立していないことだ。70年代あたりまでは、若者はある年齢になれば親から自立して、自力で生活するのが普通だった。良しあしは別として、家庭から学校、会社に代表される社会につながる安定したレールが敷かれていた。
ここ10年間で、経済活動のグローバル化や過度の情報化など要因はさまざまだが、そのレールが直進のものでなくなってきたのも若者たちを迷わせる理由の一つだろう。しかし、そんな社会の変化にもかかわらず、学校も家庭も学歴社会から抜けきれず、子供を画一的な価値観で一流サラリーマンに、と学業に追い立て続けている。
社会の行く末にも無頓着に、学校に囲い込まれ、主体性を発揮する機会も訓練の場も与えられない現代の子供たちの心身が脆弱(ぜいじゃく)なのも無理のないことだ。学力の低下を問題視する声もあるが、知識の不足より、それを活(い)かす人生の目的も見つけられない、活力のなさの方が問題だ>
とくに新しい主張ではない。これまでさんざん言われてきたことだ。こうした観点から、「週休2日制」や「ゆとりの教育」が導入されたわけだが、これが定着しないうちに、ふたたび知識詰め込みの教育に戻ろうとしている。安藤さんがいうように、私も大切なのは「知識の量」ではなく、「それを活かす人生の目的」ではないかと思っている。「何のために、何を、どう学ぶか」が問題なのだ。
<少子化、高齢化が進む一方の日本社会で、若者たちの問題は何より重要である。彼らを社会の若い力として生き返らせるには、社会システムも学校教育も変わらなければならない。大切なのは、教育と仕事、社会とを切り離すのでなく、もっと広く<生き方>を探していける環境をつくっていくこと、子供たちが未来を切り開くためのチャンスを幅広く準備することだ。
だが、そうした努力も、人間をつくる根本となる家庭の子育てに変化がなければ意味がない。保護するばかりで子供の自立を考えていないから、いつまでも子供が依存するのを許してしまっている。
人間の根幹は、純粋に世界を知ろうとする子供のときに形づくられる。必要なのは、子供なりに自分で考えて、行動できる自由を与えてやることだ。自分の心を探すうちに友を知り、生命を知り、自分が戻る家庭の意味を学ぶ。自由を通じて責任の意味を身体で学ぶ。責任を伴った自由を大切にしてやっていれば、昨今の青少年の凶悪犯罪も起こらなかったのではないか。
親の体験してきた社会の枠組みは、すでに崩壊している。まずは親が思い切って子供を、子供の世界に帰してやったらどうか。子供が子供らしくいられて初めて健全な社会だ。次代を託すべき世代に元気がない社会に未来はない>
「何のために、何を、どう学ぶか」ということを教えようということで、「総合学習」がカリキュラムとして設けられたが、やはりこうしたことを学校で教えるのには限界がある。安藤さんが言うように、「教育と仕事、社会とを切り離すのでなく、もっと広く<生き方>を探していける環境をつくっていくこと」が重要だ。そのために、学校も家庭も、社会も変わっていかなければならない。その方向性として、「自立と自己責任」という羅針盤を見失わないようにしたい。
(参考サイト)http://www.mainichi.co.jp/eye/ronten/art/040105M115_1207101B10DH.html
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