橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2004年01月27日(火) 私の死刑廃止論

 ときどき職場に署名用紙がまわってくる。「高校でも30人学級を実現を!」「幼児教育の充実を!」といった署名にはすぐに応じるが、ときには署名をお断りする場合もある。例えば「死刑制度撤廃」の署名がそうだ。これまで何度か署名用紙が来たが、「私は死刑制度撤廃には反対です」と言って、署名しなかった。

 なぜ、死刑制度撤廃に反対なのか。私の場合は、ハムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」ということである。この基準をあてがえば、他人の命を奪った者は、自分の命で償ってもらうしかない。そうしないと、殺された者は浮かばれないし、親族や友人も納得できないだろう。

 したがって、故意の殺人については、正気であれ狂気であれ、心身喪失や耗弱を問わず、「殺人には死刑」を原則にすればよい。ただし、これはあくまで原則であって、法廷が刑の減軽を妥当と判断し、遺族がこれを認めれば、恩典として死刑の不執行を認めてもよい。あくまで被害者の心を尊重すること、これが私の考え方である。

 しかし1989年に死刑廃止条約が成立して、死刑制度廃止を求める声は今や世界の世論になっている。2002年末現在、執行せずの事実上の死刑廃止国が20カ国をふくめれば、111カ国が死刑を行わない国となった。残り84カ国は北朝鮮、中国、イラン、イラク、キューバ、アフガン、パキスタンといったイスラム国やアジア・アフリカの途上国がほとんどで、先進国は米国と日本のみである。

 アメリカでも実は死刑廃止が進んでいる。2002年に死刑が執行されたのは71件(死刑囚は3697人)だが、2002年12月末現在、12の州では死刑が廃止され、38の州で死刑は合法だが、そのうちの8州で執行が行われていない。

 2003年1月には共和党のイリノイ州知事ジョージ・ライアンが、167人の死刑囚全員に恩赦(減刑)を与えている。この背景には、地元ノースウェスタン大学の学生たちが、17年間獄中にいる一人の死刑囚の裁判記録を調べあげ、無実の証拠を発見したことがある。知事が州審査委員会に他の死刑囚の調査を指示したところ、13人に対する判決が不当だったとの報告を受けた。知事は「死刑制度は、悪魔的な誤りを犯すリスクに取りつかれている。この州のだれにでも同じように起きる可能性がある」として、任期切れを目前に167人全員の減刑を発表した決断したのだという。
 
 日本でも死刑制度反対の声は大きくなっている。亀井静香といえば、自民党元政調会長で小泉さんと総裁戦を争った保守的な政治家だが、もとは自治省の役人で、埼玉県警捜査二課長などを歴任した経験を持っている。刑事犯罪の現場を知っているこの人が、今は刑廃止推進議員連盟(現在、超党派で113名)の会長として熱心に「死刑制度廃止」を主張している。

 著書「死刑廃止論」(花伝社)の中で亀井氏は、「報復感情という、いわば人間の本能といったものを、国家が代わって行うということでは、国家としての健全な姿ではない」「国家権力が、犯罪者に、凶悪犯罪をやったということで命を絶つ…ということは、近代国家においてやるべきでない」「死刑には犯罪抑止力はない」「生きとし生けるものに対する共通の価値観、人間の尊厳についての基本的な考えの重なり合いといったものが、死刑廃止運動によって生まれてくるのではないでしょうか」と書く。

 世界の潮流から遅れたアメリカや日本でも、こうした動きがある。しかし一方で、凶悪犯罪が増えている。「死刑制度撤廃」に反対する声はまだまだ強い。私も「死刑制度撤廃」に反対してるが、しかしその理由は「死刑には犯罪抑止力」を期待するからではない。あくまで被害者や遺族の心情を重視するからだ。そして「目には目を」というモラルの立場から、死刑の存続を主張している。これは人間の心の問題なのだ。

 しかし死刑制度は民主主義国家における裁判の公正を前提としている。「疑わしきは罰せず」を軸とする近代的な刑事手続システムが機能しないで、国家刑罰権の誤用や濫用が日常のように行われ、誤認逮捕、誤起訴、誤判、そし冤罪による誤った処刑が無数に行われている。こうした現状では、「死刑廃止論」がでてくるのもやむをえない。冤罪による死は国家による暴力的殺人行為である。これほど恐ろしいことはない。私もそろそろ「死刑制度廃止論」への反対を撤回する潮時かなと思っている。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加