橋本裕の日記
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| 2004年01月23日(金) |
ワン・フォア・オール |
私の高校では三年生の各クラスは毎年、人権週間にポスターをつくる。それぞれが、一言ずつ標語を持ち寄って書くのだが、そのなかに担任の私が書いたのは「ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン」(One For All、All For One)である。私は二回これを書いたが、今後又この学校で3年の担任になって標語を書くとすれば三度この標語を書くだろう。そのくらい気に入っている。
この標語がだれの言葉か知らない。私はこれを自分のクラスの生徒に教えてもらった。中学生の時、これがクラスの合い言葉だったというから、結構ポピュラーな言葉なのだろう。この言葉の前半の「ワン・フォア・オール」は「一人はみんなのために」という意味だ。「みんな」のところに、家族や友人や地域社会や国家、人類社会、地球などがくる。
これが強調されると、「滅私奉公」などという封建的な国家主義や息苦しい集団主義、恐ろしい全体主義になりかねない。私はそれを救うのが、後半の「オール・フォア・ワン」だと思っている。前半がないと、後半が成り立たないのは確かだが、後半が確立されていて、はじめて前半の「ワン・フォア・オール」の気持が生まれてくる。
「オール・フォア・ワン」は「みんなは一人のために」ということだ。私たちが社会に尽くした見返りとして、社会は私たち一人一人の生命や財産を守り、豊かで平和な生活を保障してくれなければならない。納税は国民の義務だが、その税金を国民の福祉のために使うことは、国家の責務でもあるわけだ。
「ワン・フォア・オール」と「オール・フォア・ワン」はどちらが先というわけではない。これは車の両輪のようなもので、同時に進行しなければならない。そして、この両者がバランスよく調和のとれた社会が私たちの理想とする社会ということになる。
こうした社会では、「滅私奉公」という言葉は成り立たない。あえて書くなら、「活私奉公」とでも表現すべきだが、やはり「奉公」という言葉の語感はよくない。もうすこし現代的にいうならば、「社会貢献」であろう。「活私貢献」とでもいうことにしようか。
「自分を最大限に活かして人々の役に立つこと」、これを自己の人生の理想にしたい。恐らく、人間にとってほんとうの幸せはこうした実践のなかに自ずと実感されるものだ。したがって、こうした社会的幸福を疎外して、個人に利己的な快楽のみを提供したり、その見返りに自己犠牲と不平等を強いるような社会システムは、すみやかに変革される必要がある。
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