橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
21.二人の会話
窓際の席から外が眺められた。秋の午後の日差しが斜めに舗道に落ちていた。そこを若い男女が歩いていく。二十数年前、修一も妻の芳子や良子とその道を歩き、この喫茶店に入ったことがあった。
喫茶店の中にもカップルが何組かいたが、静かに雑誌を読んでいて、話し声は聞こえなかった。話をしているのは、修一たちだけのようである。ジャズ響いていたが、音量が絞ってあるので、気にならなかった。葉子も外を眺めていたが、思い出したように、
「近親憎悪と言えば、最近は家庭内暴力とかいろいろあるから怖いわ。沢田さんのご家庭は立派な息子さんだから問題はないでしょうけど」 「そう立派でもないさ。しかし、今の時代まったく平和な家庭はないんじゃないかな。どこの家でもそれぞれ他人には言えない秘密や軋轢を抱えているんだろうね。日本は平和で豊だと言うけど、一皮むくとたいへんなのさ」
「うちの病院にも、それと分かる患者さんが運ばれてくるのよ。父親は階段から落ちて頭の骨を折ったというけれど、どうみても不自然なの。金属バットかなにかで殴られたとしか思えないケースもあるの。病院に勤めていると、人生のいやな面も目に付くわね。何となく悲観的な気分になることも多いわ」 「出生率がどんどん減っているだろう。子を産まない夫婦や、結婚しない男女が増えているからね。葉子さんはどうかな」
「私も結婚しない口かも知れません。結婚しても、子供は欲しいとは思わないわ」 「意外だね。それで、仕事一筋で頑張るのかい」 「ええ、たぶん仕事しかない人生になると思います」 「残念だね」 「どうして、残念なのですか?」 「君はいい奥さんになれそうだから」
葉子は目を上げると、修一を見た。修一は励ますように、 「結婚したって、看護婦は続けられるだろう」 「私、前の彼のことが、まだ忘れられないのかも知れません」 「前の彼とは、どのくらい?」 「三年と少し。看護学校の時から交際を始めて、看護婦になって半年も経たないうちに、好きな人が出来たので、別れたいって……」 「彼から言われたの?」 「はい、この喫茶店に呼び出されて、ちょうどこの席でした」
修一は思わず、咳払いをした。 「それで、あっさり別れたの」 「しかたがないなと思いました」 「彼とはそれっきり?」 「ええ、音沙汰なし」 「あっさりしたものだね」
「もともと恋人と言っても、接吻一つしたことがないんです。手を握って、一緒に山歩きをしたくらいかな。山歩きが好きな人でしたから」 「ふうん、少し風変わりだね」 「そうでしょうか」 「男と女が一緒にいて、何も感じなかったの」 葉子はちょっと困ったように、うつむいた。
|