橋本裕の日記
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2004年01月20日(火) 虚無を運ぶ車

 鴎外が「かのように」を「中央公論」に発表したのが明治45年1月、50歳の時である。この年、明治天皇が崩御し、乃木大将の殉死があった。その10月に初めての歴史小説「興津弥五右衛門の遺書」を発表している。

 大正2年には「安部一族」、大正4年には「山椒太夫」、大正5年には「高瀬舟」などの名作を書き、この年から「渋江抽斎」「伊沢蘭軒」「北条霞亭」を新聞に連載した。毎日新聞は朝日の夏目漱石に対抗して鴎外に期待したが、「連載すればするほど読者の反響が小さくなっていき、やがて販売店から猛烈な反対が持ち上がった」(毎日新聞100年史)のだという。

 漱石に比べれば、鴎外の歴史・史伝小説はいかにも地味だった。しかも漢語を主体にした文体が非常にむつかしく、一般人のみならず、同時代の文人たちにも読みつらかった。鴎外はこうした批判に「わたくしは学殖なきを憂うる、常識なきを憂へない。天下は常識に富める人の多きに堪えない」と答えたという。

 残念ながら、私も学殖に乏しい方なので、鴎外の史伝小説はなかなか読みづらい。しかし、「山椒太夫」や「高瀬舟」は文体もよいし内容も深い。私の大好きな作品である。鴎外は歴史上ほとんど無名の人々に光を当て、その困難な人生に寄り添うように丁寧に筆をすすめる。こうした創作姿勢が松本清張を感激させ、山本周五郎や藤沢周平の世界を開いていったのではないかと思う。

 ところで、「伊沢蘭軒」を連載していた大正5年に、鴎外は「空車」(むなぐるま)というちょっと変わったエッセーを書いている。今日はこの作品を少しだけ紹介してみたい。以前に読んだときから、とても気になっていた作品だからだ。

<私の意中の車は大いなる荷車である。その構造は極めて原始的で、大八車と云うものに似ている。只大きさがこれに数倍している。大八車は人が挽くのにこの車は馬が引く>

<私はこの車が空車として行き逢う毎に、目迎えてこれを送ることを禁じ得ない。車は既に大きい。そしてそれが空虚であるが故に、人をして一層その大きさを覚えしむる>

<この車に逢えば、徒歩の人も避ける。騎馬の人も避ける。貴人の馬車も避ける。富豪の自動車も避ける。隊伍をなした士卒も避ける。葬送の行列も避ける。この車の軌道を横切るに会えば、電車の車掌といえども、車を駐めて、忍んでその過ぐるを待たざることを得ない。そしてこの車は一の空車に過ぎぬのである>

<わたくしはこの空車が何物をか載せて行けば好いなどとは、かけても思わない。わたくしがこの空車と或物を載せた車とを比較して、優劣を論じようなどと思わぬことも言をまたない。縦いその或物がいかに貴きものであるにせよ>

 この作品を友人にすすめられて最初に読んだのは、もう二十数年も前だった。鴎外のいう空車とは何だろうと考えて、すぐに頭に浮かんだのは「無用の用」という言葉だった。これは役に立たないからこそ貴いのだという逆説ではないか。そして空車は文化一般の象徴ではないのかというのが、おおよそ私が友人に語ったことだった。

 私は今も基本的にはこの説に立っているのだが、最近はこれに加えて、空車とはたとえば「天皇制」の象徴ではないかなどと考えたりする。大いなる空虚としての天皇、そしてこの空虚を運び続ける馬は、すなわち鴎外自身の姿ではないか。

 現代に生きる私たちは車に色々な物を詰め込んで運んでいる。それを運ぶのが私たちの人生であり、使命であり、生き甲斐だと思っている。しかし、そうしていったい何を運んでいるのか。それもまた、どうでもよいようながらくたではないのか。そうしたありきたりの人生に比べて、何物をも運ばない人生は何やら常識を外れていて、いっそう巨魁な感じがする。

 それにしても、「空車」の醸し出す雰囲気は特異である。読み返しているうちに不気味にさえなってくる。ドストエフスキーやカフカの不条理の世界に通じるような底知れないものを感じる。「空車」は鴎外が心の底に秘めていた人生の心象風景であり、彼の心に写った虚無の深淵ではないか。今度久しぶりに読み返してみて、そんなことを考えた。


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