橋本裕の日記
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私は人生を明るく便利にするものが「文明」で、人生に生き甲斐や意味を与えるものが「文化」だと考えている。美輪明宏さんは「精神に栄養を与えるものが文化である」と書いているが、まさにそのとおりである。和魂洋才でいえば、和魂が文化で、洋才が文明ということだ。
「人はタフでなければ生きていけない、優しくなければ生きるに値しない」(If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.)という言葉があるが、私たちは文化という精神的な営為の中で人生に意味を与え、己の人生を生きるに値するものにしている。
文明は合理的で普遍的な力で世界を一つのものに変えていく。しかし、文化はそこに暮らす人々の地域性や歴史に根ざしていて、多様な独自性を備えている。そして、そうした固有なすがたかたちのなかにゆたかな価値を宿らせる。
便利であることが唯一の価値だと考えている人、そしてお金がすべてだという人は、ついには虚無主義にならざるをえない。お金をどう使うかにはその人の文化が現れるが、お金を儲けるのことは少しも文化的ではない。これは国の場合もおなじである。
近代的な科学文明が世界的な規模でいきわたりつつあるなかで、地域や歴史に根ざす文化の影が次第に薄くなり、文化的な伝統が滅び去ろうとしている。文化という土壌を失うとどういうことになるか。そこに暮らす人々の精神が栄養不足になり、虚無主義が横行して、殺伐とした社会になるのではないか。美輪明宏さんの文章を、北さんのHPの雑記帳から孫引きしてみよう。
<日本人は、匂い、色、音に対して特別な感性をもっています。昔から香をたき、声明を聞き、お題目を唱え、高次元の世界へ向かって文化を築いていったのです。
世界広しといえども、自然の音を愛でることができるのは日本人だけ。フランスにも、イギリスにも、自然の音を愛でる文化はありません。「古池や蛙飛びこむ水のをと」「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」「秋深き隣りは何をする人ぞ」・・・こうした一句のなかに感じる音は、何も俳句の世界だけではなく、日本人の日常の生活のなかでも生かされていました。虫の音、小川のせせらぎ、小鳥のさえずり・・・そうしたものを聞いて季節を知り、人生を感じて生活してきたのです。
この素晴らしい文化が次第に失われ、代わってアメリカの文化に洗脳されてきています。ガンガンと耳をつんざくばかりのロックが流れ、映画といえば暴力的なものばかり、家庭の中にあっても母親の子守唄は消え、テレビの音ばかり。家からも木の素材が消え、コンクリートに囲まれた生活。緑が失われ、アスファルトによって固められた道からは、虫がはいでてくる余地もない・・・。
人間は、肉体というハードを養うために、十分な栄養を摂取しようと心がけます。しかし精神はどうでしょう。精神の栄養とは、いったい何なのでしょうか。実は、精神の栄養とは文化なのです。
日本人が営々と築き上げてきた文化が失われつつある今、私たちの精神は栄養失調に陥っています。アメリカナイズされた文化によって栄養を補給しようとしても、それは日本人の精神には害毒にしかならないのです。それは化学肥料や化学農薬で汚染され、食品添加物が加わった食べ物と同じことです。
この害毒が、現代のさまざまな問題を生み出しています。しかし、日本人はもともと素晴らしい文化への独特の感性をもった国民です。日本人の感性が要求している文化と触れ合うことが、今、一番大切なことではないでしょうか。>(「生きるって簡単」佼成出版)
ちなみにアメリカ人やイギリス人はあまり「文化」という言葉をつかわないようだ。「文化」というのはドイツやフランスでよくつかわれるらしい。文明という言葉の語源はギリシャ語で、ギリシャ人にとっては文明=文化だったのかもしれない。文明の反対は野蛮で、ギリシャ人はギリシャ語を理解しない人々をバーバリアンと呼んでいた。この自己中心的な考え方は今も西洋文明に色濃く残っている。
(参考サイト)「北さんの雑記帳」(12月15日) http://www.ctk.ne.jp/~kita2000/zakkicho.htm
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