橋本裕の日記
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2004年01月06日(火) 初秋

16.島田の絵

 洗濯物を籠に収め、再び病室に帰ってくると、ベッドに島田が戻っていた。座椅子に上半身を起こして、膝の上に広げた画帳を眺めていた。
「やあ、調子はどうだい」
 修一は洗濯物を畳んでから、画帳を覗いてみた。

 クレヨンでそこに何やら女性らしい人物が描かれていた。一目見た印象では、幼稚園児の絵のようだった。
「これ、大将が描いたのか。誰だろうな。看護婦の服は着ていないから、葉子さんじゃないな。もっとも非番のときの彼女かも知れない」
 島田は笑っているだけで答えない。

 修一は画帳を取りあげると、他のページも覗いてみた。五、六枚ほどの絵がどれも女の絵らしいのに苦笑した。事故にあって脳が壊れても、女性に対する関心は失っていないようだ。

 おかっぱの髪をして、看護婦らしい白い服を着た女性は葉子らしい。そしてベッドに寝た女の子は、隣で寝ている少女だろう。頭から爪先までが水平に細長く描かれていて、緑色をした髪の毛だけが不思議に生き生きとしていた。
「大将にこんな才能があるとは知らなかったな」
 修一は画帳を島田の膝の上に返した。

 画帳を取りあげられて機嫌を損ねていた島田の表情が少しゆるんだ。それから、口の中で何かつぶやいた。島田が口を利くのを見たのは初めてだった。
「りょ……、りょ……こ」
 それたたしかに「良子」と聞こえた。記憶喪失の島田にようやく、記憶の薄明かりが差し始めたのかも知れない。

 修一はもう一度画帳を覗き込んだ。ベッドに寝た少女の絵が広げてあった。島田は隣の少女を良子だと錯覚しているのだろうか。
「となりに寝ているのは良子じゃないよ。美枝子というんだ」
 島田は黙っていた。そして物憂さそうに画帳を閉じた。

 修一が芳子と結婚したあと、良子は島田とともに会社を辞めた。その頃、彼女が妊娠したといううわさが立っていた。相手は島田だといううわさも流れたが、修一は気に留めることもなく、島田にも訊かなかった。修一はその頃、新婚生活に浮かれていた。


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