橋本裕の日記
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2004年01月01日(木) 新たな豊かさへの旅

 去年はイラク戦争やイランの地震など、いろいろとあったが、今年は幸多い年であることを祈りたい。今後の予測についていえば、私は日本と世界の未来について、かなり楽観している。もっともその楽観は、長谷川慶太郎など大方の経済評論家や経団連の重役が書いているような希望的観測に立ったものではない。

 実を言うと、私の楽観は長期的展望に立ったもので、近未来の破局を肯定した上での楽観である。つまり、日本のみならず、アメリカもここ十数年のうちに大破局をむかえるという前提に立っている。日本が先の敗戦の中から立ち直ったように、世界はこの破局の中から立ち上がるにちがいないという読みから生まれたものだ。

 近い将来、日本が国家破産をするであろうことは、もう避けられない。前にも書いたが、財務省の発表によると、2003年3月末現在、政府債務残高が668兆円に達したという。1年間で60兆円も増えたわけだ。これに地方自治体の債務合計200兆を加えると、868兆円で、両方合わせると、年間70兆円ずつ借金がふえている。

 さらにこれに特殊法人などがかかえる不良債権が200兆円以上あるらしい。これらの合計がいわゆる公的部門が現在かかえる負債で、その合計額は1150兆円にものぼる。GDP比にして実に230パーセントだ。

 長谷川慶太郎は日本人の個人金融資産は1400兆円あるから大丈夫だという。しかし、実は個人は住宅ローンなど膨大な借金をかかえていて、その額は400兆円もある。そこで単純な計算をすると、1400−400=1000。1000−1150=−150。つまり、現在日本人は、150兆円のマイナス資産を抱えている。

 日本が大丈夫だという人は、おそらく小学校の算数ができない人なのだろう。足し算や引き算が出来て、まともに物が考えられる人なら、もはや日本の財政がどうにもならない領域に入っていることがわかるはずだ。敗戦時、日本政府の財政赤字はGDP比200パーセントだったが、それをもうこえている。しかも、毎年70兆円ずつ天井知らずで増殖している。冷静に見れば、この先、国家破産という破局を待つしかないわけだ。希望的観測ではなく、まっすぐにこの現実を見れば明らかなことである。

 戦後日本は年率400パーセントのハイパーインフレに見舞われ、庶民は塗炭の苦しみをなめた。おかげで国や個人の借金はなくなったが、国民は財産もすっかり失って、裸一貫から出直しだった。こうしたことがふたたび起こると考えた方がよい。

 国家破産は何も珍しいことではない。イメージが浮かばない人は、ソ連崩壊後のロシアを思い浮かべればよい。10年ほど前のロシアでは年率7000パーセントという途方もないインフレが数年間続いた。銀行にあるすべての預金と貸金庫は封鎖され、その資産はすべて没収された。治安は極端にわるくなり、死亡率があがって平均寿命が縮んだ。ホームレスが街にあふれ、国民のほとんどが食料品を求めて、店先に長い行列を作った。

 トルコでも国家破産によって、年率100パーセント近いインフレがもう30年あまり続いている。2001年2月にはこれは一週間で70パーセントにもなり、貸し出し金利がなんと1万パーセントを越えた。トルコ全土がパニックに陥ったらしい。

 同じく国家破産したアルゼンチンでは、市長が「経済危機下で市内の貧困層人たちは、カエル、ネズミまで食べることを余儀なくされている。特に子供たちの栄養失調が目立つ」と特別声明をだしている。(2002年6月6日朝日新聞)。昼間から強盗が出没し、資産家の家族は誘拐の危機にさらされているという。

 日本もいつ国家破産がおこってもいいタイタニック号状態だということを、認識しておく必要がある。結局、どん底に落ちなければ、太平楽の夢に酔い続ける私たちの目はとうてい醒めそうにない。そのあいだは、経済評論家たちは暢気なことを言い続けるだろう。

 もっとも彼らは国家破産してもあまり被害はないらしい。野口悠紀夫さんによると、多くの経済人は主張とは裏腹に資産を外国に移すなど、すでにかなり手を打っているらしい。いつも割を見るのは、彼らの無責任な言動を信じた庶民なのだ。私は長谷川慶太郎がバブルのとき「いまどき株や土地に投資しないのは世捨て人だ」と書いた文章を忘れはしない。バブルをあおった彼らがバブルで借財を背負ったという話は聞かない。

 国家破産の危機はアメリカにもある。タカ派のシンクタンク「アメリカン・エンタープライズ研究所」は最近、アメリカの老人医療保険と貧困層向け医療費補助、それから社会保障制度が、近い将来合計で44兆ドルの大赤字を抱えるという予測を発表した。巨額の財政赤字にもかかわらず、野放図に債権を発行して、人気取りの減税と軍事支出をやめないブッシュ政権のアメリカも、確実に破滅に向かってカウントダウンに入っている。ドルが世界の基軸だから大丈夫だというが、最近ではユーロというものがある。ドルは日本が必死で買い支えているがどこまでもつか。この先、いつまでもドルが安泰だとはいえない。

 しかし、浪費大国のアメリカや日本の経済破綻は、地球環境にとってなによりの朗報になるだろう。国家が破産すれば、庶民はいやがうえにも貧乏になる。そして様々な悲劇が人々の上に襲いかかる。これはとても暗いシナリオだが、これによって人々の目が覚め、まったく新しい人生に一歩を踏み出す可能性が生じる。大局的に見れば、日本のような金権主義国家が破産することはそれほど悪いシナリオではない。ただその覚悟と準備をいまのうちから、しておいたほうがよい。

 繰り返し書くが、「経済成長」で問題が解決すると考えるのは、あまりに楽天的で現実を知らなさすぎる。もし世界中の人々がアメリカ人並に一人一台ずつ車をもったらどうなるか。石油は数ヶ月で地上からなくなると言われている。現在地球上に住む2割の豊かな人々が、資源の8割を消費している。もし、残り8割の人が同じだけ資源を消費したらどうなるだろう。

 実のところ、いくら経済成長しても、みんなが豊かになるわけではない。そして、みんなが豊かになったりしたら、そもそもこの地球がもたないのである。こうした基本認識があれば、経団連会長奥田碩氏(トヨタ自動車会長)のように「死にものぐるいで成長を実現せよ」(文芸春秋新年号)などという主張がいかに能天気で愚かなものか、子供にでも分かるだろう。

 それではどんな生き方がこれからの社会で主流をしめたらよいのか。それは「成長主義」や「競争主義」の幻想から自由になった自然や社会と共生的な生き方である。ソローは「森の生活」の中で中国やインドやギリシャの哲学者を例にひき、「ぼくらが自発的貧しさと呼ぶ、優越した視点から見るのでなければ、人間生活を公平に賢明に見ることのできる者はひとりもいない」と書いている。

 これを補うように、政治学者のダグラス・ラミスは「対抗発展」という考え方を提案している。「自発的貧しさ」をこれからの人間に必要な「発展」だと考えるのである。物質的な資源には限界があるが、精神の世界にフロンティアはない。そこにはまだまだ巨大な夢やロマンが隠されており、その可能性は無限に広がっている。この地上で有限な資源を奪いあって戦争をするより、無限の精神世界をともに手を携えて開拓する方がよほど楽しいし、実りのある生き方だろう。

「対抗発展」という考え方に立つと、これまでのモノサシがあべこべになる。たとえば国の豊かさはこれまでのように「一人当たりのエネルギー消費量」や「二酸化炭素放出量」の「大きさ」ではなく、その反対に「小ささ」で測られる。車の数の多さではなく、少なさで国の豊かさが測られる。つまり、このモノサシをつかうと、世界で一番の開発途上国はアメリカや日本ということになる。

 私はこのモノサシが世界のモノサシになる日がくることを願っている。しかしこのことは、何も私たちが先進的な科学技術を捨てて、原始時代に戻れということではない。まさにその反対である。科学技術や私たちの良識をさらに高度に発展させて、レベルの高い文化や文明を築こうという壮大な計画なのだ。ケネディにならえば、これこそが21世紀に生きる私たちに求められるニューフロンティア精神である。

「対抗発展」というのは、つまりは未来に向けて私たちが生き延びるための哲学であり、叡智と夢にあふれた挑戦なのである。そのベクトルの向きはこれまでの豊かさの向きとは反対である。そこには巨大な建物も塔も空母も原子力発電所もないかもしれない。それは一見貧乏への後退のようだが、新しいモノサシが分かる人には、それはもう一つの豊かさへの美しい前進である。

 今、私たちの住む地球は大きな危機を迎えている。実のところ、それは人類の存亡にかかわるほどの危機である。ラミスはこれを氷山に衝突して沈んだタイタニック号の悲劇になぞらえている。衝突寸前まで、船の中では宴が催されていた。誰一人、まさか自分たちの載っている船が沈むとは考えていなかった。もしそんなことを口にする人間がいても、相手にされなかっただろう。

 現在の人類の危機がタイタニック号と違っているのは、この危機を口にする人がたくさんいて、しかも氷山の在処まで分かっているという点だろう。たとえばすでに1972年にローマ・クラブが「成長の限界」という本を出して、経済成長が地球を破壊するという警告を発している。これを受けて、国連も毎年のように国際会議を開き、さまざまな議決をしている。

 たとえば1999年には国連環境プログラムがナイロビで会議を開き、「地球環境展望2000」という報告書を出した。そこにいかに地球の環境破壊は危機的な状況にあるかが書かれている。そして「先進工業国の資源消費量を9割減らすことを目標にせよ」と提言している。そうしないと、人類はやがて重大な生命の危機をむかえるのだという。

 これより少し前、様々な専門家を動員して書かれた「グリーンニング・ザ・ノース」という本がドイツでベストセラーになった。この本ではドイツ政府に具体的な提案をしている。たとえば、石油や石炭の使用を2050年までに80パーセントから90パーセント減らす。原子力発電は2010年までに100パーセントなくす。そしてエネルギー消費量そのものも半分にするということなどだ。

 このように、資源の消費を大幅に減らさなければ人類に未来がないことはもうだれもが分かっている。しかし、実際にこれを行おうとすると、各国の利害がからんできて、足並みがそろわない。そして、景気が悪くなり、エネルギーの消費量が落ちると、これはたいへんだと大騒ぎになる。たちまち「経済成長優先」に戻ってしまう。その先頭を走っているのがGDN大国のアメリカと日本なわけだ。

<これはまるでタイタニック号が氷山にぶつかる前に、船のエンジンが故障して止まってしまったというような状態です。乗っている人たち、船員があわてて一生懸命エンジンを直そうとしている。早くエンジンを直し、もう一度スピードを出して走りたい、そういう状況です。止まってよかったと考えている人は、あまりいない。しかし、もう一度走り出す、進み出すということは、もう一度その氷山に向かって進み出すということです>(ダグラス・ラミス、「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」)

 ラミスは再び成長路線にもどるのではなく、これを契機にして、「経済成長なしで、どうやって豊かな社会を作るか」という問題に解答を与えることが大切だという。しかし小泉首相やブッシュ大統領の頭の中にあるのは、エンジンを直して再び成長路線を走りたいという焦りばかりだ。タイタニック地球号に乗っている大方の人の願望もそうである。バブルの夢よ、もう一度というわけだ。

 私たちに必要な思想や感性は、たとえば「我なんじらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その装いこの花の一つにもしかざりき」(マタイ伝6章)という聖書の言葉の中にさりげなく語られている。摩天楼という文明のバベルの塔をではなしに、野に咲く一本の楚々たる花を通して、自然の不思議といのちの美しさをしみじみと感じ取る心を、もっと大切に慈しむべき時代にきているのだ。それが成熟というものだが、どうもまだしばらくそうはならない。まだまだ私たちの意識は「発展途上」にあるからだ。

 みんなが金持ちになることはできない。しかし、みんなが豊かになることはできる。こうした単純な真理が分かるためには、私たちはまだしばらく時間がかかるだろう。十数年後、日本やアメリカが国家破産して、はじめて私たちはこの賢人の知恵から学ぶにちがいない。そのときこそ、新しい日本が生まれ、世界が新しくなるときだ。もっともその頃私は、モンゴルの草原で、全く違った生活をしているだろう。それまで命があればのことだが。

 年の初めにあたり、日ごろから私が一番大切だと考えていることを、「新しい豊かさ(生き方)への提言」としてまとめてみた。今すぐこの提言が実行されるとは思っていないが、多くの紆余曲折をへて、いずれこうした方向に世界が進んでいくことを私は楽観し、信じてもいる。

(参考サイト) C・ダグラス・ラミス「世界がもし100人の村だったら」
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/sekai100.htm


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