橋本裕の日記
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インターネットが普及し、だれでもが情報を発信できる時代になった。戦争が終わり、半世紀以上たって、戦争体験者が高齢化し、しだいにその人口も減少する中で、今、その貴重な体験が、インターネットで語られている。そうした方々のHPを訪れることで、私たちは先の戦争について、生々しい情報を得ることが出来る。
今日は私が愛読している「戦争を語り継ごうリンク集」の中から、そうしたHPの一つを紹介しよう。佐藤貞さんの「軍隊まんだら」である。佐藤さん戦争も末期の昭和19年4月に赤紙で召集され、中国大陸に送られる。満州から南京をとおり、南中国を行軍し、南昌で敗戦を迎えた後、敗残兵として南京、上海と経由し、故郷に帰ったのは昭和21年6月2日だったという。
私の父がやはり佐藤さんと同じ年代で、中国大陸で一兵卒として参戦している。生前その苦労話を聞いていただけに、とても人ごとにようには思えない。ああ、父もこんな苦労をしていたのだなと思いながら読んだ。
佐藤さんは、<これは赤紙で臨時召集された丙種合格の痩せ男が朝鮮、中国に連れて行かれ悪戦苦闘する物語りです>と書く。行軍距離約千里(4000km)、2ケ年余りの軍隊生活が、「軍隊まんだら」にはじつに生き生きと目に見えるように描かれている。文章はエピソードごとに読み切りでとても読みやすい。その魅力的な表題のいくつかを拾ってみよう。
徴兵検査、チンチンをしごかれる 大目玉の軍隊初夜の夕飯 死出の草履履きの入隊 胡麻すりは非常に有効 朝鮮人いじめ 楽しかった羅南の春 飯盛りの事で大喧嘩 水と大便に苦労する 南京の町を彷徨する大部隊 初行軍で落伍 慰安所造り マラリヤで狐つきになった兵 大晦日の夜行軍 道を忘れた先導伍長が泣く 橋に死人が垂れていた衡陽 苦力哀れ 南嶺山脈超え 天井裏に隠れていた女達 置去り死体を焼く 兵と苦力、半々の隊列 マージャンに耽る古参兵 チンチンを出した儘歩く兵 天皇の放送を聞く 軍馬たちの末路 日本兵を罵る日本人女将 投石の中の洗濯 食べ物を恵んだ老婆達 麻酔無しの手術 お尻丸出しで検便 楽しかったリンゴの歌 空しく立つ戦死者の墓
古参兵の凄惨ないじめ、中国人に対するむごい仕打ち、軍馬たちのあわれな最後、戦争と軍隊の非人間性を描きながら、佐藤さんの筆にはどこか余裕があり、読んでいて不快にはならない。なにかしみじみとしたあわれが漂い、読後感がふしぎに爽やかである。それはつまり、佐藤さんの人間を見つめる目が温かなためだろう。
とくに私が意外に思ったのは、敗戦後敵地をさまよう敗残兵に対する中国の人々の意外な温かさである。たとえば、敗戦後の南京市での体験を佐藤さんはこんなふうに書いている。
<この捕虜作業をしている私達に中国の婆さん達が毎日食物を恵んでくれた。私らは食事が少なかったので昼の分まで朝食べてしまって殆ど空の飯盒を持って作業に出掛けた。 昼食の時に空の飯盒をつついて居る私らを見て、婆さん達は二三人ずつ自宅に連れて行って何かを食べさしてくれた。
昼休みに魚釣台(或いは釣魚台)と言う警察署の中庭に入れられて表に出られなかった時、お婆さん達が巡査と揉み合いまでして私らを連れ出して食べさして呉れた。夕方引き上げるときには天秤に饅頭や漬物を下げてくれた。宿舎に戻って夜皆でこれを分けて食べるのが何よりの楽しみだった。本当に有り難う御座いました。その時から私は中国に恩返しをしなくてはと心に決めました。私は今、中国の沙漠緑化植樹や辺地小学校の建設、留学生援助などにせめてもの気持ちを表わしています。
それにしても終戦後の物不足の時に中国の婆さん達はどんな気持ちで日本兵に物を恵んでくれたのでしょうかまた、路上でお湯を売っている焼き芋屋風の屋台に行って水筒にお湯を入れて貰いましたが只でした。行列をしている大勢の兵にお湯を呉れるのは相当の負担だったと思います。>
兵隊は誰の為に戦ったのか。佐藤さんは「あとがき」で、こんな風に書いている。
<「母ちゃんや子供、親兄弟、好きな彼女などが住んでいる日本の為だ」と公言出来る軍隊だったらもっともっと人間味のあるものになっていたと思う。然し、このようなものは、女々しいこと、個人的なこととして排斥されました。
何の為に戦うかも納得しない儘、戦地を徒に彷徨したのが私の従軍でした。結果として中国人民に多大の犠牲と損害を与えて空しく帰国したことになりました。貴重な食料を徴発して自分の口に入れ、無辜の中国人を拉致し労働を強制し、家を焼き、田畑を荒らしたことを心からお詫び致します。>
(参考サイト) 「戦争を語り継ごうリンク集」 http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/ 「軍隊まんだら」 http://www2.ocn.ne.jp/~sukagawa/
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