橋本裕の日記
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2003年12月23日(火) ほほえみの文化

 先週の週末は12月にしては珍しい大雪で、テニスの練習試合も延期になり、二日間、のんびり読書をしたり、数学の問題を解いたり、文章を書いたりした。北さんに貰った「東京物語」のDVDもようやく見ることができた。

「東京物語」はこれまで何回か見ていて、私の「映画100選」に入っている。あらすじや感想はすでにあらかた書いているが、今回じっくり見て、味わってみたいと思ったのは、登場人物の「ほほえみ」だった。新渡戸稲造の「武士道」(岩波文庫)で、こんな文章に出会っていたからかもしれない。

<日本人は、人性の弱さが最も厳しい試練に会いたる時、常に笑顔を作る傾きがある。我が国民の笑癖についてはデモクリトスその人にも勝る理由があると、私は思う。けだし我が国の笑いは最もしばしば、逆境によって擾されし時心の平衡を恢復せんとする努力を隠す幕である。それは悲しみもしくは怒りの平衡錘である>

 ほほえみが悲しみをかくす幕であるということは、戦争で夫を失って若い未亡人となった紀子(原節子)にもあてはまる。息子を戦争で失ったトミ(東山千栄子)や周吉(笠智衆)にもあてはまる。そのお互いを思いやる気持が、彼らの浮かべる微笑みの中にそこはかとなくただよっている。夫を失った悲しみ、子を失った悲しみ、そうした悲しみが三人をむすびつけ、その悲しみを浄化させるなかで、そこに微笑みという精神のやさしい美しさが醸し出されてくる。

 そうした悲しみを悲しみとして経験することなく、淋しさを淋しさとして味わうことなく、ただ慌ただしい生活に追われている人々は、人間として何かを失っている。そして失ったものにさえ気付かない。それはそれでひとつのかなしいことなのだが、長男や長女に代表されるそうした人々のまずしい生活もまた小津安二郎はこの三人に対照させて描き出している。こうしてこの映画は奥行きの深いものになっている。

「私、そんなおっしゃるほどのいい人間じゃありません・・・私、ずるいんです」という紀子(原節子)セリフは、そうした「かなしみ」が失われることへの「かなしみ」であり、淋しさであり、慟哭であろう。そしてこれを大きく抱擁するのが、「ええんじゃよ、忘れてくれても」という老妻トミ(東山千栄子)を失ったばかりの周吉(笠智衆)の、慈愛に満ちたやさしい言葉だった。

「長老尼経」に夫と愛児をなくしてかなしみのあまり気が狂う女が出てくる。しかし、釈尊にであって、彼女の悲しみは浄化される。それは悲しみを忘れたのではない。もっと大きな悲しみの中に、自分の小さな悲しみが溶けだしていくのを体験したからだった。つまり彼女は永遠というものに触れて、釈尊とほのぼのとした微笑みをかわす。こうして女は法華経にいう「唯仏与仏」の出合いを成就する。

 法華経に「常懐悲感、心遂醒悟」(常に悲しみを懐きて、心遂に醒悟す)という言葉がある。魂の奥深くにしみとおる悲しみによって、人は本物のやさしさを手にする。それは人間として、本物になるということだ。そしてこのほんもののやさしさにふれた人間だけが、人生のほんとうの豊かさに目覚めるのだろう。

<「東京物語」は、本当に深い映画だと思います。トミが死んだ直後、夜明けを眺めていた周吉(笠智衆)のセリフ、
「きれいな夜明けじゃった。今日も暑うなるぞ・・・」
これが、フランスではとても評判になったということです。このセリフにこめられている周吉の「悲しみ」が、ようやく分かったような気がしました。>

 これは「東京物語」を見た北さんの感想である。こういうセリフがあることを見落としていたので、今回はじっくり味わいながら鑑賞した。そして、やはりいいセリフだと思った。最愛の存在を喪失して、こういう淡々とした言葉を吐ける人間はすばらしい。これは日本映画のみならず、世界映画史上、もっと美しいセリフの一つではないかと思った。

 新渡戸が「武士道」の中で、加賀の千代女の俳句を引いて、こんなことを書いている。

<死せる児の不在をば常のごとく蜻蛉釣りに出かけたものと想像して、おのが傷つける心を慰めようと試みた一人の母は吟じて曰く、

 蜻蛉つり今日はどこまで行ったやら

他の例を挙ぐることを止める。何となれば一滴一滴血を吐く胸より搾り出されて希有なる価値の糸玉に刺し貫かれたる思想をば、外国語に訳出しようとすれば、我が国文学の珠玉の真価をかえって傷つくるものなることを、私は知るからである>

 最近の日本人にからは、この「やさしさ」や「かなしみ」、そしてそうしたそこはかとない魂の深みから立ち現れる「美しいほほえみ」が失われているようだ。あるのは即物的な「お笑い」ばかり。「ほほえみ」も一つの大切な文化である。法隆寺の仏像のたたえるあの奥深いやさしさをたたえたほほえみを、いつまでも残しておきたいものだ。

 最近のeichanの短歌から三首。

 冬鴉えさを求めて街の中痩せた体に殺の目をして

 早朝の高速バスの乗客はみんな目を閉じ静まりかえる

 真夜中に布団の中で聞いている時計の秒針風の物音

 師走の街を歩いていると、ときおり「殺の目」をした人に出会う。しらずしらず私も「殺の目」をしていそうな気がする。日本在住の外国の人が、「最近の日本人はみんな戦士のような目をしている」と書いていたのを思いだした。しかし、日本古来の美しさは、「ほほえみ」のなかにある。これを忘れないでいたい。私の短歌を二首。

 ほほえみを忘れて歩くわが肩に
 冬の日差しはやさしくふれて   

 何ごともなけれどたのしほほえみに
 ほほえみ返す人のぬくもり

 ところで、今朝の私のセリフはこれだ。笠智衆を気取ってみたが、ちょっと無理か。

「きれいな夜明けじゃった。今日も寒うなるぞ・・・」


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