橋本裕の日記
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11.伊吹山
天気のいい日、修一は屋上で洗濯物を日光に晒すことにしていた。日光で消毒しないと、病院にはたちのわるい雑菌がいそうである。それに、日光や風の匂いのする肌着は、寝たきりの患者にとって格別のものだろう。
今日はとくに天気がいいので、洗濯物ばかりではなく、毛布や布団も干してやった。修一は家事労働を一切妻に任せていたが、病院へ来ると別人のように働いた。それが少しも苦にはならなかった。
修一は布団を干し終わって、屋上から街の景色を眺めた。S工業の煉瓦色の本社ビルの一部が見えた。そのはるか向こうに、伊吹山の影がかすんでみえた。十八歳で福井から名古屋に出てきた修一は、山の姿がほとんど見えない濃尾平野の広さに驚かされたものだ。
福井は盆地だから、四方が山である。修一は昼休みになると、会社のビルの屋上に来て、遠くの山を眺めながら、故郷を思ったものだった。そして、いつかそんな修一の傍らに、同期で入社した島田の影があった。彼から伊吹や御岳の名前を教えられた。
教えられたのは、山の名前ばかりではなかった。生きていくのに必要な世間常識も教えられた。都会に出てきて、右も左も分からなかった修一が、何とかやってこれたのも島田のおかげかも知れない。夜間大学を四年間で卒業できたのも、島田と一緒だったからだろう。何度もくじけそうになった修一だったが、島田に叱咤されて卒業できた。
学歴がものを言う時代だったから、夜間部卒では大した出世は望めなかったが、修一は上司に恵まれ、実力が認められて、製品開発プロジェクトに加わることができた。主任を任せられたときには肩に力が入り、過労で入院したこともあったが、それでもプロジェクトは成功した。十年ほど前に会社が創業五十周年を迎えたときには、妻や長男も祝賀会に招待され、修一は家族の見守る中で中間管理職として晴れがましい席に座ることができた。
その頃すでに会社は円高のリスクを避けるために海外に工場を移転させていたが、やがて急激な資産デフレの時代を迎えて、設備投資のために借りた高利の借金が足かせになり、経営が次第に苦しくなったようだ。研究開発費が縮小し、修一も技術畑から今の部署に配置転換になった。
倉庫係のような身分にはちがいないが、それでも永年勤めてきた会社は自分の人生の一部のようで愛着があった。若い頃に戻って、もう一度会社を選ぶとしても、S工業を選ぶのではないだろうか。 (人生がやり直せたら、再び今の妻と結婚するだろうか) 修一は煙草に火をつけながら、ふと思った。そして、最近ますます険しくなってきた妻の顔を思い浮かべた。
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