橋本裕の日記
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十字軍をめぐってローマ法王と対立し、破門された神聖ローマ帝国皇帝・フリードリッヒ2世(1195-1250)は、「最初の近代人」だといわれている。彼以前にも破門された皇帝はいたが、それは単なる権力闘争からだった。しかし、フリードリッヒ2世の場合は事情が違っている。彼には人間や社会、自然に対する新しい認識があり、キリスト教徒でありながら、イスラム世界に対する理解があった。
彼の生まれ育ったシチリア王国ではイスラム世界との貿易が活発で、彼もアラビア語を自由に話せたという。政府の公文書はギリシャ語とアラビア語で書かれていた。こうした環境が彼に広い視野と自由な精神を与えたのだろう。
彼は若い頃、鷹狩りに関する本を書いているが、その中で何度も出てくる言葉が、「ありのままに見よ」だったという。この言葉を口にしたフリードリッヒ2世は、すでに近代的な科学精神の持ち主だったと言っていいだろう。「最初の近代人」といわれるゆえんである。
彼はこの科学的精神をイスラム世界から学んだのだった。彼はイスラムの王とアラビア語で手紙のやりとりをしたが、その内容は主に科学や数学に関する問題だったという。そしてイスラムの王に天体観察儀を送られて、これを子供の次ぎに大切なものと呼んだという。
十字軍は多くの悲劇をもたらしたが、ひとつだけ後世に残る成果を生みだした。それは十字軍に参加することで、西欧社会よりもはるかに進んだ文明がこの世界にあることを学んだことである。それはまた、キリスト教という呪縛から人々を解放する出発点ともなった。
イスラム世界はギリシャ文明の遺産の多くを継承していた。したがって、イスラムとの出合いは、ギリシャ文明の再発見につながった。これが導火線となって、「ギリシャに帰れ」という流れができ、ルネッサンス(文明復興)へと華々しく展開していく。
そうした意味で十字軍はルネッサンスの生みの親でもあったわけだ。そしてフリードリッヒ2世の「ありのままに見よ」という言葉は、そのまま、ルネッサンスの精神に直通している。キリスト教という教条や偏見をぬぐい去ったとき、そこに見えてくるのは、もっと自由で生き生きとした人間の姿だった。キリスト教という毒に犯される以前の、はるかに健康な美しい精神と肉体がそこに輝いていた。そしてそれはフリードリッヒ2世が感じ、愛していたものでもあったのだろう。
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