橋本裕の日記
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ロバート・ケーガンの「ネオコンの論理」という本が以前話題になった。福田和也が「現在、国際情勢とわが国の運命を考える上で、本書ほど重要な著作はない」と書いていた本だ。ロバート・ケーガンはアメリカ・リーダーシップ・プロジェクトの責任者で、かっては国務省に勤め、政策立案スタッフの一員として、国務大臣のスピーチライターの責任者をしていた「ネオコンの旗手」といわれる学者だ。「ネオコンの論理」から引用してみよう。現在のアメリカを動かしている人々の本音が浮かび上がってくる。
<ヨーロッパは軍事力への関心を失った。少し違った表現を使うなら、力の世界を越えて、法律と規則、国際交渉と国際協力という独自の世界へと移行している。歴史の終わりの後に訪れる平和と繁栄の楽園、18世紀の哲学者、イマヌエル・カントが「永遠平和のために」に描いた理想の実現に向かっているのだ>
<これに対してアメリカは、歴史が終わらない世界で苦闘しており、17世紀の哲学者、トマス・ホッブスが「リバイアサン」で論じた万人に対する万人の戦いの世界、国際法や国際規則などあてにならず、安全を保障し、自由な秩序を守り拡大するにはいまだに軍事力の維持と行使が不可欠な世界で、力を行使している>
<18世紀から19世紀初めにかけては、国際法による」制約を歓迎しえなかったのは、ヨーロッパ列強の側であった。それから2世紀たって、アメリカとヨーロッパの立場が逆転した。そして見方も逆になった。その一因は、過去200年に、そしてとくに過去十数年に、欧米の力関係が劇的に変化したことにある>
<アメリカは弱い国だったとき、間接的な方法で目的を達成する戦略、弱者の戦略を採用していた。いまではアメリカは強力になり、強国の流儀で目標を達成する戦略、強国ろ流儀で行動している>
<ソ連の軍事力という抑制要因がなくなったことから、アメリカは事実上いつでもどこでも、自由に軍事介入できるようになった。この事実は、アメリカによる海外への軍事介入件数が増加していることに反映されている。第一次ブッシュ政権は1989年にパナマに介入し、91年に湾岸戦争を戦い、92年には人道的な観点からソマリア内戦に介入した。クリントン政権もハイチ、ボスニア、コソボに軍事介入している>
<軍事力が強い国は自然に、軍事力が弱い国とは違った目で世界を見る。リスクと脅威の測り方が違い、安全のとらえ方が違い、安全が脅かされた状態への許容度が違う。軍事力が強い国は、軍事力が弱い国よりも、国際紛争を解決する手段として軍事力が役立つと考える可能性が高い>
<アメリカでは大量破壊兵器の拡散、テロ、「ならずもの国家」などの外国の「脅威」が注目される。ところがヨーロッパでは、民族紛争、移民、犯罪組織、貧困、環境破壊などの「課題」が注目される。しかし、最大の違いは文化や考え方ではなく、能力にある>
<ヨーロッパ人はアメリカ人によくこう問いかける。「アメリカはきわめて強力だ。どうして脅威があると騒ぎ立てるのか」。しかし、アメリカは強力な軍事力をもち、他国を守る責任を負う意思をもっているからこそ、主な標的にされるのであり、往々にして唯一の標的にされるのである。ほとんどのヨーロッパ人は、当然ながらこの状態が続くことに満足している>
<ヨーロッパは軍事力で劣ることから、ホッブスのいう万人に対する万人の戦いの世界の冷酷な法則、国の安全保障と成功を決定づける最終的な要因が軍事力である世界の冷酷な法則を否定していき、いずれは根絶することに深い関心をもっているのである。これは非難されるべきことではない。軍事力が弱い国が昔から望んできたことだ>
<18世紀には公海での国際法を強く主張したのはアメリカであり、強く反対したのは七つの海を支配していたイギリス海軍であった。無秩序の世界では、弱い国は餌食にされるのではないかとつねに恐れている。これに対して強国は、無秩序よりも、自国の行動を制約しかねないルールを恐れることが少なくない。無秩序の世界であれば、強国は軍事力に頼って安全と繁栄を確保できる>
<ヨーロッパが政治権力を拒否し、国際紛争を解決する手段として軍事力の役割を軽視しているのは、ヨーロッパにアメリカ軍が駐留を続けている事実があるからだ。ヨーロッパがカント流の永遠平和を実現できるのは、アメリカが万人に対する万人の戦いというホッブス流の世界の掟に従って軍事力を行使し、安全を保障しているときだけである>
<1990年代、アメリカの軍事費が年2800億ドルだったとき、ヨーロッパが各国の軍事費の総額を年1500億ドルから1800億ドルに増やす計画には意味があった。だが、アメリカが軍事費を年4000億ドルに増やす方向にあり、おそらくは今後数年にさらに増額されると見られる中で、ヨーロッパはこれに追随する意図をまったくもっていない>
<アメリカは冷戦の終結を、海外から撤退する機会としてではなく、さらに進出する機会としてとらえた。・・・・アメリカには「孤立主義」の伝統があるとする神話はきわめて強い。しかし、これは文字通り神話にすぎない。領土の拡大と影響力の拡大が、アメリカの歴史で否定のしようのない事実になっているし、そうとは意識しないまま拡大してきたわけではない。世界の舞台で大きな役割を果たしたいという強い意欲が、アメリカの性格に強く根付いている>
<アメリカが国外での行動の正当性を主張するとき、その根拠を国際機関に求めることなく、自国の理念に求めてきた。だからこそ過去のどの時代にも、現在でも、アメリカ人の大多数は、自国の利益を追求すれば人類全体の利益を追求できるとの見方を容易に受け入れられるのだ。ベンジャミン・フランクリンが論じたように。「アメリカの大義は全人類の大義」である>
ケーガンは<アメリカは良心を持った怪物だ>という。そして、<アメリカはどこまでも自由で進歩的な社会であり、軍事力が重要だと考えるときも、自由な文明と自由な世界秩序を広める手段でなければならないと信じている><アメリカの文事力は人類の最善の手段、おそらくは唯一の手段だともいえる>と書いている。
一読して、アメリカの支配層が考えていることを、よくもまあ本音でここまで書いたものだと、感心した。ケーガンも認めているように、アメリカの論理(ネオコンの論理)は強者の論理である。しかし、これは正しい論理だろうか。たしかにこの論理には真実らしい部分がたくさんある。しかし、すべてが正しいわけではない。いや全体として見るとき、これはとても「論理」といえる代物ではないと思うのだがどうだろう。
<世界の安全と自由主義的な秩序、そしてヨーロッパの「ポストモダン」の天国を長期にわたって維持するには、ヨーロッパ以外の地域に広がっているホッブス流の危険な世界でアメリカが軍事力を行使するということが不可欠だと信じている>
ここに語られていることは、たしかに一面の真実である。しかし、ここに決定的に欠落しているものがある、それは、だれが「ホッブス流の危険な世界」をもたらしたのかということについての反省である。つまり、「ネオコンの論理」、ケーガンの言う、「強者の論理」に欠落しているのは、こうした歴史的・社会的視点である。さらにいうならば、そこから当然導き出されるであろう「モラル」が欠如していることだ。
私が危惧を覚えるのは、この「ネオコンの論理」が、国際連盟を脱退したころの日本の軍国主義者の思想や行動ときわめて親和性が高いことである。このことについては、また別の機会にじっくり分析してみたいと思っているが、その本質を言えば、この世界が「ホッブス流の弱肉強食の世界だ」ということだ。
ケーガンもこの世界は「ホッブス的な弱肉強の世界だ」、そしてこれが「世界の本質であり、人間の本性なのだ」、という前提で論を展開する。そして、こうした殺伐とした世界に平和と繁栄をもたらすのは「こざかしいカント流の理性」などではなく、「軍事力」しかないと主張する。この似非論理を打ち砕くには、ただそれが「モラル」に反しているというだけではいけない。その「暴力主義」の前提となっているもの、その「世界観」「人間観」「人生観」そのものを粉砕するしかないと考える。
参考までに、私が随分以前にHPに書いた「ホッブスからロックへ」という文章を以下に引用しよう。ネオコンの論理に対するもっとも強力な批判は、おそらくロックの思想の中にあるのではないかと思うからだ。
ーーーーーーホッブスからロックへーーーーーーー
ホッブス(1558〜1679)は人間の本質をエゴイズムだと捉えました。したがって、自然状態とは、人間が人間に対して狼である状態であり、そこでは「万人の万人に対する闘争」が支配すると考えました。
それではどうしたら、こうしたおぞましい自然状態を抜け出すことが出来るのか。そのためには人は契約によってそれぞれが自然権として持っている権利を放棄して、国家に譲り渡すことが必要だと考えました。つまり平和を実現するためには強力な国家権力が必要だと考えて、絶対主義国家を擁護したのです。
ホップスは王権神授説を批判し、契約という近代的な考えに立っています。つまり国家や権力を神懸かりに崇拝するのではなく、必要性と功利性において認めようという立場です。戦前の天皇機関説のようなものです。あるいは大審問官のような立場です。
これに対して、私の立場はロック(1632〜1704)に近いのだと思います。ロックはホッブスのいう自然状態はひとつの仮説であると考えました。そしてエゴイズムは人間の本性というより、環境によって形成される面が強いと考えました。
われわれの心はちょうど白紙(タブラ・ラサ)のようなものであって、多くの経験によってそこに内容が書かれる。だから、ホップスが人間の本性をエゴイズムだと考えたのも、かれが生きた時代とかれの個人的な経験の産物だということになります。
彼は「寛容に関する手紙」のなかで、「国家は人民の福祉にあずかるべきだ」と書いています。また、「政府論」のなかで、「法の目的は自由を撤廃しあるいは拘禁することにあるのではなく、自由を保存し、拡大することである」と書いています。
つまりおなじく「法」というものを考えながら、それを人間の自由を縛るべき規範だと考えたホップスとは違って、法は人間の自由を拡大するためにあると考えました。考え方が180度違っています。
ロックのこうした自由主義的な思想は、彼が政治亡命をしていたオランダの先進的な思想によるものだと考えられます。当時オランダは世界の出版物の大半を出すほどの自由な国でした。シェークスピアの描いた弱肉強食の時代を生きたホッブスとは、時代や環境が違っています。
ロックはモンテスキューに先駆けて、権力の分割を唱えました。すなわち立法権、行政権、外交権に分けました。そしてこのなかで、立法権をとくに尊重しました。
ロックは「人民主権」を唱え、その現実的発動の機関として「議会制度」を提唱し「多数決原理」を主張しました。こうしたロックの考え方はもちろん王党派の迫害を呼びましたが、やがて名誉革命が成功して、彼の提唱した議会制民主主義が実現したのです。
ロックはこの他にも1699年に北米カロライナ州の憲法草案を託されましたが、そこでは「個人の良心の自由」を強く擁護し、「宗教と政治」を分離する近代国家にふさわしい法案を書いています。
このように、おなじく王権神授説を批判して、社会契約説の立場に立ちながら、強力な権力の必要性を説き、絶対王制を擁護した国家主義者のホップスと、人間の自由意志を尊重し、基本的人権を認め、議会制民主主義を提唱した個人主義思想家のロックではずいぶん違っています。
この違いが生まれる原点に、両者の人間観の違いがあったのだと思います。性悪説の立場をとったポッブスに対して、ロックはこれをしりぞけました。人間の心は白紙で、彼がどのような人間になるかは経験や教育が大きくものをいうと考えたのです。
そしてここから、よき人間を創るためには、よき社会制度をつくらなければならないという、実践的な社会変革の姿勢がうまれてきます。ロックは個人の幸福を実現するためには、国家というシステムがよくならなければならないと考えたのです。そして権力の暴走や腐敗をふせぎ、民主主義を実現するために三権分立を考案しました。
ロックのこの考え方は、アメリカの独立戦争やフランス革命の理論的支柱になり、市民革命を推進する力になりました。現在地上に存在する国家はおおよそロックの思想から生まれたものだと考えてもいいと思います。
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