橋本裕の日記
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2003年11月29日(土) 初秋

5.病院にて(2)

 入り口に近い二つのベッドに寝ているのは初老の男性と、中年の女だった。二人とも意識は回復していたが、顔に生きた表情がなかった。さきほど修一が病室に入っても、二人とも気付く様子はなく、初老の男性はぼんやりと口を開けて天井を見ていた。中年の女性は薄目を開いたまま寝息を立てていた。

 窓際に近く、島田と向かい合って、もう一人、中学生の少女が眠っている。彼女も交通事故で運ばれたらしいが、島田よりも重症で、事故から一年が経っても、まだ意識が戻っていなかった。

 修一の耳に届いた「寒い」というかすかな風の音のような言葉は、その少女の口から漏れたのだろうか。意識はなくても寝言くらい言うかも知れない。使わなければ声帯も退化して、声がかすれるだろう。

 窓からはそよ風が吹き込んでいたが、肌に触れた風はなま暖かいくらいで、寒いわけはない。しかし、修一は念のため病室の窓を閉じて、胸の上まであった彼女の毛布を、肩先まで伸ばしてやった。

 少女がふたたび何か口にするかと思って、修一は少女のあどけない顔を見守った。一年間も眠り続けているだけあって、少女の顔は青白かった。しかし肉体は育っているらしく、手術のために丸坊主にされた髪もすっかり伸び、唇は赤く色づき、胸の膨らみも目立ってきた。看護婦の話によると、すでに月の訪れもあるようだった。

 しばらく見守っていたが、少女は表情をかえなかった。小さな蕾のような唇から言葉が洩れることもなかった。修一は少女の枕元の花瓶が空になっているのに気付き、そこに持参した花を活けることにした。


橋本裕 |MAILHomePage

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