橋本裕の日記
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2003年11月27日(木) 携帯を持ったサル

 北さんがHPの雑記帳に<絶望的な「家の中主義」の蔓延>と題して、ケータイに普及にともなう若者の感性の荒廃に苦言を呈している。

<メールが打てる、写真撮影が出来る、ゲームができる、こんな便利な「遊具」が携帯できて四六時中それで遊べるわけだから、どうして、自然を観たり、異質な他者と接したり、自分に合わない雰囲気に耐えたり、自分の好きなこと以外の話を聴いたり、退屈さに耐えて本を読んだりする気持ちになるだろうか。>

<最近出た面白い本「ケータイを持ったサル」によれば、ケータイでどこであれ声高にしゃべる者、靴をスリッパばきする者、車内で化粧する女性、ジベタリアンの若者などは、「家の中主義」という家の外に出ることを拒絶している者であるという。彼らには、外界と接して自分の世界を広げ、異質な他者と共存して美しい社会を作ろうという発想自体がない。自分の家の中のような感覚で、あらゆる場所で安楽に過ごすことに何の疑問もないのだ。>

<ケータイというものを持つ若者の教育に絶望している。感性の核が確立しているハイレベルな若者は別だが、大部分のまだ未確立の若者がケータイを持ち出した時点で、私はもう、ケータイを取り上げること以外どんなことをしてもその若者の感性をマトモにすることは出来ないと思っている>

 テレビゲームやケータイが発育途上の若者の脳にどうした影響を及ぼすか、私はかなり悪い影響を及ぼすのではないかと懸念している。ケータイが「家の中主義」を蔓延させているという指摘もうなづける。こうした認識が親や教師に広まり、<ケータイを取り上げること。外部の強力な力でそれを行わない限り、絶望的である>という危機感が共有されれば、そこから「子供に携帯を与えない」というまとな社会通念や規範が定着するのではないかと思う。

 私はケータイを蔓延させている要因として、野放図な商業主義の放置があると考える。次々と新たな商品を開発し、若者達の購買欲を支配し、これに乗り遅れないとする若者達の行動を誘発している。ケータイに限らず、今日さまざまな商品がわたしたちを取り巻き、感性や理性の頽廃を生んでいる。ケータイの普及はこうした社会的風潮の一つだと考えることが出来る。そうすると、この問題はただ<外部的な強力な力で携帯をとりあげる>だけでは解決しないだろう。もっと根本的な対策や解決法を考えなくてはならない。

 とくに大切なのは、幼少年期を通して、まともな感性を育てるということだ。これが育っていればケータイ中毒に陥り、ケータイ依存症になることもないだろう。ケータイを情報収集や発信の便利な道具としてあつかい、生活に役立てることもできる。私のまわりには、そのような若者が少なからずいる。私の娘達も高校時代から携帯を持っているが、「家の中主義」に陥ることもなく、ケータイ依存症でもない。

 人間の感性の核は、幼少期の生活によって作られると言われている。私自身の経験からしても、小学生くらいまでの生活体験が感性のベースを作っている。この期間にいかに自然と親しみ、人々と豊かなコミュニケーションの場を持つかということである。こうした幼児期の教育環境が大切だ。子供たちにこうした豊かな環境を与えることが、私たち大人の責任ではないかと思っている。


橋本裕 |MAILHomePage

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