橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2003年11月24日(月) 初秋

4.病室にて(1)

 病室に入ると、かすかな芳香が匂っていた。部屋にはいずれも脳に障害のある四人の重症患者が収容されていて、島田のベッドは窓際にあった。島田のベッドが空いているのは、検査でも受けているのだろうか。あるいは、看護婦に連れられて、車椅子で内庭を散歩でもしているのかもしれない。

 島田のベッド脇のナイトテーブルの花瓶に、欄の花が活けてあった。匂いの原因はその花のようだ。それは修一がいましがた病院の売店で買い求めた花とは比較にならないほど豪華だった。顔を近づけると、甘い香りがつよく匂った。

 独身のプレーボーイだった島田にはたくさんの昵懇な女性がいたが、その中から修一は三十を過ぎて小太り気味のさと子の顔を思い出した。欄の花はさと子の趣味のようには思えなかったが、今は彼女くらいしか思い浮かばない。修一は新鮮な空気を入れようと、病院で買った花束を手にしたまま、病室の窓を開けた。

 三階の病室から、中庭が見下ろせた。芝生のあちこちに花壇がしつらえられてあり、休憩用のベンチが置いてあった。隣の病棟に急ぐ看護婦の姿や、見舞客らしい人々の影があったが、内庭に島田の姿はなかった。ベンチには妊婦らしい腹のふくらんだ女性が二人で座っていた。

 向かいは産婦人科の病棟らしい。窓越しに小さく見える人の姿は、妊婦や出産をすませた母親達のようだった。パジャマ姿の女性たちは思い思いに動いていた。向かい合う二つの病棟は、そのまま人生の明暗を象徴しているようだ。内庭を歩いている人たちがそれと知らず落とす影が、生の中に垂れた死の影のようにも思えた。そんなことを考えていると、背後でかすかな声がした。

 修一は振り返った。
(寒い)
 たしかにそう聞こえたようだが、空耳だったのだろうか。付添人のいない病室は、植物人間に近い患者が三人寝ているだけで、時が止まったように静まり返っていた。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加