橋本裕の日記
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2003年11月19日(水) 自意識という皮を剥ぐ

 美少女の山野愛子に「好きだ」と言われて、秀美は困ってしまう。「ぼくには好きな人がいるから」と交際を断るのだが、「水商売やっている人なんでしょう。そんなのひどい。不潔だわ」という愛子に、秀美は思わずこんな強烈な嫌みをいう。

「山野さん、自分のこと、可愛いと思っているでしょう。自分を好きじゃない人なんている訳ないと思っているでしょう。でも、それを口に出したら格好悪いから黙っている。本当はきみ、色々なことを知っている。物知りだよ。人が自分をどう見るかってことに関してね。高校生の男がどういう女を好きかってことについては、きみは、熟知しているよ」

「ぼくは、人に好かれようと姑息に努力する人を見ると困っちゃうたちなんだ。ぼくの好きな人には、そういうところがない。ぼくは、女の人のつける香水が好きだ。香水より石鹸の香りが好きな男の方が多いから,そういう香りを漂わせようと目論む女より、自分の好みの強い香水を付けている女の人の方が好きなんだ」

 こんなひどいことを可憐な少女に言っていいのだろうか。案の定、秀美は愛子に頬を打たれる。そして、いよいよ愛子の逆襲が始まる。

「何よ、あんただって、私と一緒じゃない。自然体っていう演技してるわよ。本当は、自分だって、他の人とは違う何か特別なものを持っていると思っているくせに。優越感をいっぱい抱えてくせに、ぼんやりしている振りをして。あんたの方が、ずっと演技しているわよ。あんたは、すごく自由に見えるわ。そこが、私は好きだったの。他の子たちみたいに、あれこれ枠を作ったりしないから。でもね、自由をよしとしているのなんて、本当に自由ではないからよ。私も同じ。あんたの言った通りよ。私は人に愛される自分てのが好みなのよ。そういう演技を追求するのが大好きなの。中途半端に自由ぶっているんじゃないわよ」

「それから、つけ加えておくけど、私が川久保くんとつき合えないのは、彼の背が低いからじゃないからね。私、髪に、ムース付けるような男、大嫌いなの。口開けて、女に見とれているような男もね」

 山野愛子の言葉は、秀美を自己反省に誘い、<ぼくこそ、自然でいるという演技をしていたのではないか>という疑問が萌してきた。演技を嫌いながら、実は秀美自身、「演技をしていないという自然を装う演技」をしていたのではないか。それでは、どうしたらその自意識の皮を剥ぎ取り、演技の毒をぬぐい去ることができるのだろう。秀美はその答えを見つけることが出来ない。そんな秀美に、桃子さんはこんなアドバイスをする。

「怒んないでよ。秀美くんたら。皮を剥いても剥いても野菜じゃ仕様がないわよ。その内、人の視線を綺麗に受け止めることが出来る時期が、きっと来る。その時に、皮を剥く必要のない自分を知れれば素敵よ」

 さすがに、愛子さんの言葉には味わいがある。だれしも人の視線が気になる。それでは人の視線が気にならなくなったらそれでよいかといえば、それも淋しい。人の視線をだた気にするのではなく、それを「綺麗に受け止める」ことができたら、やはり人生は最高だろう。

 それではどうしたら、そんなことが可能になるのか。それは、一言で言えばあるがままの自分をさらして恥じない「自信」である。自分の生き方に自信がもてるようになったとき、人は初めて自分に対しても他人に対してもあたたかい視線を向けることが出来る。そのとき、人も又、あたたかい視線を向けてよこすだろう。秀美はそのことに少しだけ気付く。そして、<山野愛子を嫌いだと口にしなくなった時、ぼくは、それを手にすることができるのかもしれない>と考える。

 思春期に自意識や演技の問題で悩んだ経験はだれしもあるのではないだろうか。とくに異性の目が気になり、川久保くんのように涙ぐましい努力をしたり、愛子のような作られた美少女の媚態にうっとりしたこともあるはずだ。私には川久保くんや愛子がなんだか愛しい存在に思われる。秀美の生き方は、この二人に比べて、少し高踏的だ。愛子に「うぬぼれるんじゃないよ」と言われて当然だろう。


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