橋本裕の日記
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| 2003年11月15日(土) |
健全であることの不健全 |
山田詠美の「ぼくは勉強ができない」には味のある会話がちりばめられている。今日は、「健全さとは何か」というテーマで、この小説を読んでみよう。主人公の時田秀美が家庭謹慎中の真理の家を訪れる。そこで、こんな会話のやりとりがある。
「秀美はねえ、要するに健全すぎるのよ。だから、ふられちゃうのよ」 「いいじゃないか、健全なのって」 「・・・・・たいていの人は、健康な肉体に性的なアピールを感じるわ。肉体って、即物的だもん、恋愛においてはね。解り易いっての? でも、精神状態も、健全だっていうのは困るのよ。もっと、不純じゃなきゃ。いやらしくないのって、つまんないよ」 「ぼくの周囲の女の子たちは、皆、一様に、さわやかな人が好みだと言っているぞ」 「私は、そういう綺麗ごとを口に出すのって、好きじゃないの」・・・・ 「好きだから一緒にいたいって思うことって、つまんないことかなあ」 「思い余って、彼女を滅茶苦茶にしたいとかは思わないの? 私だったら、そうされたいな。乱暴するとか、そういうことじゃないのよ。気分的に、そういう思いが伝わってくるかってことだけど」 「思わないこともない。でも、がまんしてるの」 「いいじゃん。うんと、我慢したらいいよ。そしたら、健全な精神なんて、今度、彼女にあったら、どこか行っちゃうよ」
真理とこんな会話を交わした後、秀美はますます「健全」ということがわからなくなる。そこで、サッカー部の練習のあと、桜井先生をラーメン屋に誘って、さっそく、「健全さとは何か」という質問をぶつけてみる。
「時田よ。ぼくは、そのことに答える資格などないのだ」 「どうしてですか。やはり、どこか、不健全なところがあるのですか?」 「うん。体にも自信がない。心もよこしまだ」 「そう言えば、先生はセックスが弱いと言っていましたね。でも、心がよこしまだってのは知らなかったな。すごく良い人に見えるけど、本当は、良からぬことを考えていたりするんですか?」 「どうして時田は、そんなこと考えるようになったんだ」 (ぼくは、真理との会話の内容を先生に話した) 「・・・・時田、いいかい、世の中の仕組みは、心身共に健康な人間にとても都合良く出来ている。健康な人間ばかりだと、社会は滑らかに動いていくだろう。便利なことだ。でも、決して、そうならないんだな。世の中には生活するためだけなら、必要ないものが沢山あるだろう。いわゆる芸術というジャンルもそのひとつだな。無駄なことだよ。でも、その無駄がなかったら、どれほどつまらないことだろう。そしてね、その無駄は、なんと不健全な精神から生まれることが多いのである」 「へー」 「恋愛だって、なきゃないですませられる人も多いんだぞ。うつつを抜かしているおまえは、いろいろ無駄を作っている。ほら、ラーメンものびて来ているぞ」
秀美はこのあともいろいろ思い悩んだあと、意を決して桃子さんに会いに行く。二人が会うのは久しぶり。桃子さんが他の男と寝ていたことを知って、「失恋」していらい、初めてのことだ。そのときの、二人の会話も紹介しよう。
「男がそんな情けない顔するもんじゃないわよ」 「・・・・・・・・」 「会いたかった?」 「ぼく、情けない顔している?」 「してる。すごくいたいけ。すごく可愛いわ」 「情けないよ、ぼく。本当だよ。ああ、こんな筈じゃなかったのに。すごく情けないぞ」 「あら、いい風情よ」 「・・・・・・・・」 「私の部屋で待ってて。泣くのは、それからでもいいでしょ」 「今日、ぼくと寝る?」
二人はこんな具合で、再び仲をとりもどす。健全さとは何か、誤解を恐れずに言えば、それは年頃の男と女がセックスをすることである。年頃の男女がセックスもせずに、長い間一緒の部屋に押し込まれて、がまんして教科書を読んでいることは、かなり不自然で、不健全なことなのだ。そう考えれば、世間一般の健全さというものが、かなり不自然で、欺瞞に満ちたものであるか、あきらかではないだろうか。
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