橋本裕の日記
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2003年11月01日(土) 民主主義と法

 民主政治の根底には、法治主義の思想がある。民主政治を作り出したギリシャは、いうまでもなく法治主義の発明者であり、確立者でもあった。たとえばヘロドトスはペルシャ王クセルクセスと、ペルシャに亡命したスパルタ王デマレトスとの対話を次のように描いている。

ペルシャ王
「ギリシャ人は自由を好むという話だ。わが軍のように、一人の統率下にあれば、指揮官を恐れる心から実力以上の力も出し、鞭に脅かされて寡勢をも省みず大軍に向かい突撃もしよう。だが、自由ならそのいずれもしないだろう」

亡命したスパルタの王
「スパルタ兵は一人一人の戦いにおいて何人にもひけをとりはしませんが、団結すれば世界最強の軍隊です。なぜなら、彼らは自由ですが、法という君主を戴いている。彼らが法を恐れることは、ペルシャ人が大王をおそれるの比ではありません。この法の命ずるところはただ一つ。いかなる大軍を迎えてもけっして敵には後ろを見せず、あくまで自分の持ち場に踏みとどまり、敵を倒すか、あるいは自分が滅びよ。ということです」

 亡命したスパルタ王の言葉はやがて正しいことが立証される。アテネを盟主とするギリシャ連合軍は、みごとにクセルクセスの派遣した雲霞のごとき軍隊をうち破る。マラトンの戦いがそうであり、サラミスの海戦がそうだった。専制君主の命令に従う奴隷の軍隊より、法に従う自由な市民の軍隊の方がはるかに強かったわけだ。アテネの黄金期を築いた政治家ペリクレスもまた、その有名な演説の中で次のように述べている。

「われらの政体は他国の制度を追従するものではない。ひとの理想を追うのではなく、ひとをしてわが範を習わしめるものである。その名は、少数者の独占を排し多数者の公平を守ることを旨として、民主政治と呼ばれる。わが国においては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによってすべての人に平等な発言が認められる。だが一個人が才能の秀でていることが世にわかれば、無差別なる平等の理を排し世人の認めるその人の能力に応じて、公けの高い地位を授けられる。またたとえ貧窮に身を起そうとも、ポリスに益をなす力をもつ人ならば、貧しさゆえに道をとざされることはない。・・・・・

 われらはあくまでも自由に公けにつくす道をもち、また日々互いに猜疑の眼を恐れることなく自由な生活を享受している。よし隣人が己れの楽しみを求めても、これを怒ったり、あるいは実害なしとはいえ不快を催すような冷視を浴びせることもない。私生活においてわれらは互いに制肘を加えるようなことはしない。だが事公けに関するときは、法を犯す振舞いを深く恥じおそれる。時の政治をあずかる者に従い、法を敬い、とくに、侵された者を救う掟と、万人に廉恥の心を呼びさます不文の掟とを、厚く尊ぶことを忘れない」(ツキジデス「ペロポネソス戦争の戦没者に対する最初の国葬におけるペリクレスの弔辞」)

 ペリクレスはこのように祖国の法に従って勇敢に戦って死んでいった勇士をたたえている。こうした順法精神はアテネ民主政治の中核であった。だから裁判で敗れたソクラテスも、「悪法も法なり」と言い残して、従容として毒杯を仰いだのだった。

 自由を愛するギリシャ人が、なぜ法を尊んだのか。その理由は、専制支配のなかには独裁者の自由しかないからだ。少数者の独占を排し多数者の公平を守ることを旨とした法による統治こそが、人間に自由と平等をもたらし、国家に平和と富をもたらすと考えたからである。そしてギリシャ人はこれを「民主政治」と呼んだのだった。そうした消息が、ペリクレスの演説から生き生きと読みとれる。


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