橋本裕の日記
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| 2003年10月12日(日) |
ノー・ルッキング・バック |
1998年 アメリカ映画「ノー・ルッキング・バック」をビデオでみた。派手なアクションがあるわけでもなく、登場人物もどこでもいそうな「普通の人々」である。描かれているのは、陳腐な男女の三角関係。過激なセックスシーンがあるわけでもない。しかし、こうした欠伸がでそうになるほど静かな映画もたまにはいい。どちらかというと私好みの、人生をしみじみと感じさせる佳作だといえよう。
舞台はニューヨーク州ロックアウェイ・ビーチ。時が止まったような静かな田舎町で、くすんだ色の通りには人気もあまりない。そんな町で生まれ育った主人公のクローディア(ローレン・ホリー)は、これという取り柄のない地味な町の青年マイケル(ジョン・ボン・ジョヴィ)と同棲しながら、町のさびれたレストイランでウエイトレスとして働いている。
マイケルは働き者だが、それほど収入がありそうではない。二人の楽しみは町のパブで仲間と酒を飲んで人の噂話をすることくらい。クローディアはたまには町の外へ出てレストランで食事をと思うが、マイケルはそうした贅沢は自分たちにふさわしくないと考えている。
そんな田舎町に、マイケルの親友で、クローディアのかっての恋人だったチャーリー(エドワード・バーンズ)が戻ってきた。チャーリーは4年前にクローディアを捨てて、一人でニューヨークに行ったま音信もなかった。マイケルはチャーリーに会い、現在自分がクローディアと同棲していること、もうすぐ結婚することを打ち明ける。チャーリーは驚くが、「そう長く町にいるつもりはない」言って、マイケルを安心させる。
しかし、チャーリーは毎日のようにクローディアの働いているレストランに顔を出す。そして、「こんな田舎町にうもれていていいのか。いつか町を出たいと言っていた君の夢はどうした」と甘い誘惑の言葉を吐き続ける。マイケルとチャーリーは親友だが、性格も生き方もまるで違う。真面目で誠実なマイケルにたいして、チャーリーは甘いマスクをしていて、どこか自由な遊び人風で、物腰や言葉使いが都会風に崩れている。
チャーリーは以前にもこうしてクローディアを誘惑し、妊娠させ、堕胎させている。そうした前科があるので、「もう二度と傷つけられるのはごめんだわ。私はもう夢ばかりみていた昔の小娘ではないのよ」とチャーリーを拒む。チャーリーから「こんな生活で良いのか」と言われて、「それでは、あなたの夢はどうなったのよ」とニューヨークから舞い戻った彼に逆襲する。
「君のことが恋しくなって戻ってきた。一緒に町を出よう。都会で僕たちの可能性を試そう」 「もう、そんな夢を見る気にはなれない」 「毎日そうしてマイケルのパンツばかり洗っているのか」 女たらしのチャーリーは女を誘惑するツボをしっかり心得ている。クローディアの気持が少しずつチャーリーに傾く。
クローディアは休日にマイケルの実家に行くたびに「いつ結婚するの」と彼の母親に訊かれる。彼の兄弟達はテレビでフットボールをみて時間を潰すだけ。人生に何一つ疑問を抱かず、真面目なだけが取り柄の視野の狭いマイケルにも不満が募ってくる。マイケルと結婚して、この小さな田舎町で主婦として退屈な色あせた人生を生きるのかと思うと息が詰まりそうになる。そして、その満たされぬ思いが、チャーリーの出現によって顕在化し、次第に心の中で増殖し始める。
実はクローディアは4年前に堕胎した後、合併症を起こして、二度と子供を産めない体になっていた。しかしそのことは誰にも打ち明けていない。これがマイケルと同棲しながら、結婚に踏み切れない理由の一つでもある。このことをマイケルに話そうにも、なかなかその機会がない。事情を訊こうともせず結婚を焦るマイケルとクローディアの間に口論が起こり、二人の間の心理的な溝が深まっていく。
そんなある日、クローディアの方からチャーリーに会いに行く。「きっと君は来ると思っていたよ」と優しい微笑を浮かべるチャーリー。そして彼は海の見えるテラスで真顔になって、「もう二度と君を傷つけない。一緒にこの町を出よう」とやさしくクローディアを抱き寄せる。数日後、クローディアはチャーリーの車に乗り、隣町のレストランへ。そしてそのあと、ホテルで二人は4年ぶりに結ばれる。
その間、マイケルはクローディアを求めて夜の町を探し回り、一睡もせず、クローディアの帰りを待ちかまえる。そしてチャーリーに送られて朝帰りしてきたクローディアをみると、涙を浮かべたまま、「荷物をまとめて出ていってくれ」と言い渡す。家を出て、車の中でクローディアは嗚咽する。実は、まだマイケルと別れる決断ができていなかったのだ。マイケルから決定的な一言を言われて、途方に暮れている。しかし、おおくの人は彼女に同情できないのではないだろうか。
(やれやれ、女たらしのチャーリーの手管に乗せられて、とうとうマイケルを失ったじゃないか。マイケルが怒るのも無理はないよ。見ていられないね。クローディアが再びチャーリーに捨てられ、もっとヒドイ目にあうのはもう目に見えている。たしかにマイケルは夢のない男だが、誠実さだけはもっている、視野は狭いが、堅実な働き者じゃないか。マイケルとの平穏無事な生活のどこに不満があるというのだ。いつまでも人生を夢見る女学生気分の抜けない馬鹿な女だ。人生を甘く見すぎているよ)
フローベルの「ボバリー夫人」を最大の傑作の一つに数えている私は、クローディアに同情しないわけでもない。しかし、このあとの展開に危惧をいだいた。マイケルを捨てて、チャーリーに走るのではつまらない。これではボバリー夫人やアンナ・カレニナの二の舞である。ここはやはり、クローディアにもっと別の、すばらしい人生の決断をしてもらいたい。
映画は私の期待どおりになった。マイケルとわかれたクローディアは実家に帰り、母親から「自分を大切にしなさい」(Take care of yurself)と言葉をかけられる。黒のピーコートを着てじっと海辺に佇むクローディア。東海岸の空と海を背景に、彼女の物思いに沈みながら真剣に思索する姿が印象的だ。このあと、彼女はチャーリーに会い、自分が一人で旅に出ることを宣言する。
「これが僕に対する復讐なのかい」といぶかるチャーリーに、 「これはあなたともマックスとも関係がないの。私自身の人生の問題なのよ」 と静かな笑顔で返すクローディア。 「君はこれから、ほんとうの自分を捜しに行くんだね」 チャーリーの声に送られて一人で車に乗り込み、静かな田舎町の秋の風景の中を去っていくクローディアの表情はいかにも溌剌としていて美しい。
最後まで見れば、彼女の行動に納得できる。それだけの説得力を、この映画持っていると思う。監督、脚本はエドワード・バーンズで、なんと女たらしのチャーリーを演じた男が監督ではないか。このエドワード・バーンズという男、若いのにたいした男である。シナリオもよくできていて、文才もありそうだ。今後の作品が楽しみである。
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