橋本裕の日記
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| 2003年10月04日(土) |
俳句で綴る旅日記(19年前の日記) |
1984年7月26日(木)朝5時、瑞陵高校前に集合。M先生の車で出発。名四国道、名阪国道を抜けて大阪に入る。さらに神戸、岡山を経て吉備路に着いた時には夕方6時に近かった。茶店のおばさんにシャッターを押して貰って、吉備津彦神社の前で、M先生と二人、写真に収まった。さらに、吉備津神社に行った。
吉備路来て古き社でみそぎかな
その夜は、倉敷の石山花壇という宿に投宿。翌朝7時半、宿を出て、倉敷の美観地区を見学。大原美術l館の前で写真撮影.郷土玩具館を見て、倉敷アイビースクェアに足を伸ばす。
倉敷や水辺の楊白き壁
9時頃に宿に帰り、出発。2号線を走り、高梁川を渡り、円通寺に来る。ここは良寛が21歳から20年間修行した寺だという。
良寛のゆかりの寺の蝉の声 石仏は野草のなかにひっそりと 身を捨てて仏に抱かれし座禅かな
11時頃、円通寺を出る。スカイラインを通り、鷲羽山展望台へ。眼前に瀬戸内海の島々、船船の姿がある。建設中の瀬戸大橋も見える。鷲羽山を降り、岡山港からフェリーで小豆島の土庄港へ。3時5分着。銀波園でおそい昼食をとる。そこを出て、寒霞渓に4時30分に着いた。馬や猿がいて、そこからの展望もなかなかいい。
岩肌に波音刻む島の夏 オリーブの緑も燃ゆる山路かな
さらに車を走らせて、小説「二十四の瞳」の舞台として有名な岬の分教場に来たときには5時半になっていた。分教場を見学。小さな机と椅子、オルガン。掲示板には廃校になった当時の子供たちの絵が貼ってある。教室の黒板は古かった。かってそこに子供たちのつぶらな瞳が集まっていたことだろう。教壇に立った若い女教師の姿もしのばれる。隣の教室には、松竹映画「二十四の瞳」のスチール写真や、原作者壺井栄の生い立ちを紹介したパネルがある。壺井栄はこの分教場の近くの平手の出身だそうである。
二十四の瞳集めし古き黒板(いた) 潮騒の磯の香やさし分教場
土庄の宿、たか根荘に着いたのは6時半だった。ビーチホテルというだけあって直ぐ前の海岸が海水浴場になっている。一泳ぎしたかったが、その時間はない。 もっともM先生はカナヅチだそうである。そこで5分間で泳げる秘訣を伝授することにした。
「ただ、水に身を任せて、仰向けに寝ればいいのです」 「それで沈まないの」 「必ず浮きます。あとは手足を動かせば、前に進みます」 「ほんとうかな」 「大切なのは信じきって水に身を委ねるということですよ」 M先生は永平寺で修行したという曹洞宗のお坊さんである。水泳も禅も極意は一つであろう。 「一法は万法に通じ、万法は一法に通じる、というでしょう。たしか道元の……」 私が言うと、すかさず、 「正法眼蔵の現成公案にある」 さすがお坊さんである。宿の大浴場に行って、さっそく実践してみた。中学生らしい四、五人の少年達が見守る中で、 「あっ、浮いた」 二、三回失敗してから、M先生の体は見事に浮いた。このときの一句。
坊主一人湯に仰向けに身を任せ
二人でしばらく水泳に興じた後、部屋に戻り、夕食のご馳走に舌鼓みを打ち、ビールを飲み、プロ野球(中日・巨人戦)を観戦した。それが終わり、卓球場へ行った。
浴衣着てピンポンを打つ坊主かな
遊び終わって、また一杯飲み、床に身を横たえて、しばし清談。人間の無明についてのやや高尚な話。映画や良寛和尚の話。浮き世離れした清談は深更に及んだ。
枕二つ唯仏与仏の禅問答
翌朝は8時に宿を出て、小豆島の東の端にある福田港へと海岸沿いの道を小一時間。途中の景色が鮮やかだった。小豆島の夏もなかなかのものである。
オリーブの緑も濡らせ島の夏
福田港からフェリーに乗り込む。一時間半の船旅である。瀬戸内海は地図でみるのと違ってかなり広い。遠く四国の山脈や本州の山の稜線がかすんでいる。客室は冷房が利いていたが、デッキに出て、二人ともタオルを首に垂らして風景に見とれた。船の旅はそこはかとない旅情をそそるものである。航路に沿って、廃船らしい船がところどころに碇を降ろしていた。
廃船の姿さびしい海の路
フェリーが着いたのは姫路港だ。正午過ぎに姫路城に着いた。さっそく城の正面で記念撮影。天守閣の高く典雅な姿が夏の光りに映えている。心を洗うようなその美しさ。順路に沿って見学する。そして天守閣に登った。
天守閣登ってみれば風の中 天守閣旅の終わりの白さかな
修学旅行下見の旅は3日間好天に恵まれたが、帰路、東名阪国道で思わぬ豪雨に逢着した。それでも他の車は高速で走る。闇の中、ハンドルに必死でしがみついているM先生を助手席で眺めながら生きた心地がしなかった。
ハンドルに預けた命闇の中
天理インター近くのパークでたこ焼きを食べる。夜10時半ごろ、随陵高校前に無事帰還。ついに修学旅行下見という重責を果たした。これという事故もなく、心楽しい三日間の夏の旅であった。合掌。
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