橋本裕の日記
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2003年10月02日(木) 小豆島の思い出

 小豆島へは3回行った。修学旅行の下見に2回と本番である。もう20年ほど前のことで、私が定時制の夜間高校にいたころだ。その頃、私の勤務する夜間高校は4年生が2クラスだった。下見に行ったのは、この二クラスの担任で、私とM先生である。

 この頃、修学旅行の行き先は小豆島と決まっていたので、あえて下見に行く必要はなかった。予算も降りなかったので、行くとすればすべて実費である。しかし、M先生と私はやはり下見は必要だと思い、自腹を切って、5月の連休中に行くことにした。

 なるべく安くということで、M先生のジェミニで行くことにした。高速道路も使わないことにして、一般道路でのんびり行った。M先生は曹洞宗のお坊さんで、永平寺で1年間修行をしたことがある。やがて教員を止めて寺の住職になるるつもりだという。寺では幼稚園も経営しているらしい。いがぐり頭の感じが、なんとなくジャガイモに似ている。

「僕は高速道路は走ったことがないんだ。こうして信号がたくさんある道路がすきだな。信号のたびに一休みできるだろう。ひとやすみ、ひとやすみ」

 こんな調子だから、早朝に名古屋を出て、大阪を抜け、岡山の吉備路についたのはもう夕方だった。国分寺の五重塔がもう夕闇に包まれていた。その夜は倉敷のホテルに泊まった。翌日は倉敷を見学し、それから玉島の円通寺に行った。円通寺は修学旅行のコースではなかったが、この寺が良寛和尚のゆかりの寺だということで、M先生が是非訪れてみたいと言ったからだ。

 その頃私は良寛が何者か知らなかった。しかし、M先生と円通寺を訪れ、良寛のことをいろいろと聞いているうちに、私は江戸時代末期に越後の庄屋のあととりとして生まれながら突然出家し、やがて寺をも捨てて生涯を行乞に生き、和歌や漢詩やすぐれた書を残したというこの人物に心を惹かれた。これが私と良寛の出合いだった。

 円通寺を出て、フェリーで小豆島に渡り、そこのホテルでさらに一泊した。風呂に浸かり、酒を飲み、ピンポンをしたりしたあと、夜更けまでM先生と語り合った。やはり宗教のこと、良寛のことが中心だった。M先生は寺で道元の「正法眼蔵」の読書会を開いているという。良寛が大好きで、越後の国上山の五合庵にも行ったことがあるという。そんな話を聞いているうちに、ますます良寛への興味が掻き立てられた。

 下見の旅から帰ってしばらくすると、教頭から、「今年から下見に行く金が下りるようになったので、行って来て下さい」と、今度は正式な要請があった。そして私たちは事務で3万円余りのお金をもらった。さらに旅行代理店から新幹線の指定席券がとどいた。「手当が3万円もあるのだから」と、途中の移動はぜいたくにタクシーを使った。前回の自腹の旅とは比べものにならないほど優雅な旅だった。

「こんなに一杯お小遣いをもらって恐縮だね。みんなに豪勢なおみやげを買って帰ろう」ということで、校長や事務にまでおみやげを買い込んだ。ところが旅から帰り、何ヶ月かした頃、旅行代理店から「すみませんが、まだ旅費を頂いていないのですが」と2万円あまりの請求書がまわったきた。私たちが「お小遣い」だと思ったのは、旅行社に払い込むべき「旅費」だったことがわかった。「君たちは本当にお人好しの世間知らずだね」とまわりの同僚に笑われて、私とM先生は面目を失い、頭を掻くしかなかった。

(なお、この下見の旅の思い出は、「俳句で綴る旅日記」として残っている。これを明後日の日記で紹介したいと思っている。今日も「日蓮と一念三千論」はお休みしました)


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