橋本裕の日記
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一昨日の日記で、「犬山総合大学」での森田実さんの講演を紹介した。今日は6月21日の寺脇研さんの講演「これからの教育」を紹介しよう。寺脇さんは前文部省審議官で、現在は文化庁文化部長の要職にある。日本の教育行政をリードしてきた人だけに、なかなか内容のある講演だった。
講演は写真撮影や録画・録音は禁止されていたが、私はかなり性能のよい頭脳レコーダーの持ち主である。英語の単語は少しも覚えられないが、人の話や読んだ本の内容は、たとえ日にちがたってもかなり正確にこれを文章化することができる。この能力は高校時代に本屋で立ち読みをした本の内容を、日記に書き留める習慣がもたらした特異能力ではないかと思われる。さて、かなり長い講演だったので、3回に分けて連載しよう。
------------------- 「これからの教育」 ----------------- 平成15年6月21日 犬山市民会館 寺脇 研 (前文部科学省審議官、文化庁文化部長)
(一) 文化力を育てよう
経済学者はこの十年を「失われた十年」と言います。ほんとうにそうでしょうか。バブルのような時代がほんとうに良い時代でしょうか。あのころ「三高」という言葉が若い女性に流行りました。結婚相手は、「収入が高く、学歴が高く、背が高い」のが理想といわれましたね。こうした価値観が支配し、株や土地投機にみんな我を忘れていた時代がほんとうにしあわせな時代だと言えるのでしょうか。海外旅行に行っても忙しくブランド品ばかりあさっている、そこには何か大切なものが欠けていませんか。
その大切なものとは何か。それはお互いに助け合ったり、いつくしみあったりするこころではないでしょうか。そうした心の豊かさが忘れられていました。経済力ばかりが評価されていました。バブルが崩壊して十年年以上がたちましたが、私はこの十年を失われた十年とは呼びません。むしろ「成熟に向けての十年」と呼びたいと思います。実はこの十年間に、新しい流れが着実に進行しています。それは地方分権がそうですし、情報公開法がそうです。バブルの頃はこうした文化講演会にどれほどに人が集まったでしょうか。今はこんなに集まります。一人一人が社会や人生を考え、自ら学ぼうという姿勢が育ってきましたが、これもこの十年の成果です。
経済力も必要ですが、大切なのは文化だと思います。文化とは何か、それにはいろいろな答えがあります。それは多元的なものを受け容れる寛容の心だともいえます。そしてそうした心がゆたかなものをこの社会にもたらすのだと思います。私たちは何のために学校で勉強するのでしょう。そして今日、なぜ生涯教育が大切だと言われているのでしょう。私はその目的は一人一人がほんとうに幸せな人生を送るためだと思います。そしてそのために大切なのが文化なのです。私は経済力という言葉に対抗して、「文化力」という言葉を提唱しました。文化力を育てることがこれからの教育の目標だと思っています。
「週休二日制」や「ゆとりの教育」は生徒の学力崩壊につながるという批判があります。また「総合学習」にも同様の批判があります。しかし、ここで考えてもらいたいのは、なんのための「週休二日制」や「ゆとりの教育」かということです。それは子供たちを家庭に返して、そこで、学校では出来ないゆたかな人生の体験をしてもらおうということです。子供を家庭にお返しすると言うことです。しかし、お父さんお母さんが忙しくて手が回らない家庭もあると思います。そうしたとき必要なのは、身近な共同体による社会教育です。子供をこうして学校と家庭と社会で大きく豊かに育てて行こうというのが目的であり、「週休二日制」や「ゆとりの教育」はその手段だということを忘れてはならないと思います。
大切なのは目標ですが、これは教育基本法にこう書かれています。 「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない」。ここに「普遍的にして個性豊かな文化の創造」と書かれています。これが目標なのです。そのためにどんな教育が今一番ふさわしいのか、そうした実りある議論が必要なのです。
いま話題の「百マス計算」もそうですが、これもときと場合によって、うまく使えば有効だろうと思います。しかし、これを五十分間も毎日やらせるのはどうでしょうか。実際そうした学校がありますが、私はこれはよくないと思っています。何のために計算をするのかといえば、そうしたことを通して「算数が好きになる」ためです。あくまで「百マス計算」は手段なのです。手段を目的ととり違え、これを絶対化するとおかしなことになります。同様に「週休二日制」も絶対なわけではありません。主体的に学び、生涯に渡って学ぼうという姿勢を育てるためにどんな方法がいいのかいろいろと考えた上での選択であったわけです。同様のことは「総合学習」にも言えます。(第一部終わり。明日の日記に続く)
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