橋本裕の日記
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| 2003年09月09日(火) |
平和をめぐる対話(1) |
日本は戦争に負けて、もう再び戦争の惨禍を繰り返さないという決意から、憲法の前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と理念を述べ、第九条ではっきりと戦争の放棄を宣言した。
<日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない>(第九条)
これに関連して、私が所属している「戦争体験を語り継ぐ」(no more war)というメールマガジンで、Mさんからおおよそ次のような質問を受けた。
<橋本裕さま。私自身、以前から疑問を感じていたことなのですが、平和憲法の大前提にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するという部分への疑問です。
国連による戦後秩序という平和の枠組みが作られるという期待に満ちていた時代に起草された文章だという認識をもっております。
現在のアメリカ、あるいは北朝鮮、あるいはイスラエルとパレスチナという国々の現実のなかで我々は現在この「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するという前提を前提としなければならないとお考えでしょうか。
私自身は、たとえば「平和を愛するアメリカ(あるいは北朝鮮)の公正と信義に信頼」する気持ちにはとてもなれないのです。
この部分をどう考えたらいいのか答えが見出せずにおります。ご意見をお聴かせいただけたら幸いです>
Mさんの質問に対する私の回答を、明日の日記に掲載することにしよう。
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