橋本裕の日記
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2003年08月28日(木) 伊藤博文と廃藩置県

 伊藤博文の業績の一つに、「廃藩置県」を建議し、これを実現させたことがある。廃藩置県は「一君万民」を唱える松陰の夢だった。ちなみに薩摩にはこうした思想家はいなかった。西郷隆盛は根っからの武士だったし、大久保利通も同じである。大久保が変わったのは博文の感化によると考えられる。彼は博文とともに「岩倉使節団」の主要メンバーとしてアメリカやヨーロッパを見たことでさらに変わった。以下はあるHPからの引用である。

<当時の政府指導者の中で、伊藤博文は,藩を全廃して郡県制をしき中央集権国家を確立することを明確に主張し,木戸孝允も伊藤ほど明確ではなくともそれに近い意見を持っていたようです。しかし政府指導者の大半は,少なくとも当面は府藩県三治体制の下,藩への統制を強めていきながら,一方では藩を温存しつつ中央集権化を進めていこう,という方針でいたようです。その背景には,当時の政府は直属の軍を持たず,各藩が軍事力を所有しているという事情がありました。

 しかし明治4年(1871年)に入ると,このような体制での中央集権化にあちらこちらで行き詰まりが見られるようになりました。政府はさまざまな対策を検討し,その中でやがて廃藩が現実の問題として浮上してきました。大久保利通ら政府指導者は西郷隆盛の協力を得て薩長土三藩の将兵による政府直属軍である親兵が創設され,軍事面で各藩に優位に立ちました。

 このような情勢の下で,明治4年7月14日(太陽暦:1871年8月29日),政府は各藩の知藩事を皇居に呼び出して藩をすべて廃止して県を置くことを一方的に宣言しました。知藩事の誰もがその当日までそのことを知らなかったどころか,政府の(形式上の)トップにあった三条実美や岩倉具視でさえそれを知らされたのは数日前,という処分でした。これを聞いた鹿児島(薩摩)藩の事実上の支配者であった島津久光(知藩事は息子の島津忠義)が激怒して鹿児島の邸内で花火を打ち上げ,鬱憤を晴らしたとういのは有名なエピソードです>(「版籍奉還から廃藩置県まで」)

 伊藤博文は松陰から「周旋家」と呼ばれていた。1を聞いて1000を知る松陰、1を聞いて100を知る高杉や久坂とくらべると、1を聞いて10を知る博文は知的能力も人物的にもかなり見劣りがするが、彼はこの「周旋家」としての才能を120%発揮し、松陰の夢を実現した。

 1871(明治4)年11月に横浜を出た岩倉米欧回覧使節団の一行はサンフランシスコで熱烈な歓迎を受けた。12月14日には、知事、市長など300名が参加する大歓迎晩餐会が開かれたが、このとき岩倉大使の挨拶のあと、伊藤博文が英語のスピーチを行った。これは日本人がはじめて行った英語のスピーチである。

「わが国ではすでに陸海軍、学校、教育の制度について欧米の方式を採用しており、貿易についてもとみに盛んになり、文明の知識は滔々と流入しつつあります。

 国民の精神進歩はさらに著しいものがあります。数百年来の封建制度は、一個の弾丸も放たれず、一滴の血も流されず、一年のうちに撤廃されました。(廃藩置県を指す)

 このような大改革を、世界の歴史において、いずれの国が戦争なくして成し遂げたでありましょうか。この驚くべき成果は、わが政府と国民との一致協力によって成就されたものであり、この一事をみても、わが国の精神的進歩が物質的進歩を凌駕するものであることがおわかりでしょう。

 わが国旗にある赤いマルは、もはや帝国を封ずる封蝋のように見えることなく、いままさに洋上に昇らんとする太陽を象徴し、わが日本が欧米文明の中原に向けて躍進する印であります」

 伊藤博文はこのとき31歳だった。農民の子として生まれた彼が、堂々とアメリカの貴顕の前で演説をした。伊藤博文の国造りへの思いが参会者の胸を打ち、万雷の拍手が止まなかったという。この演説は「日の丸演説」としてたちまち有名になった。日本人の堂々とした気骨ある態度が、多くのアメリカ人に好感をあたえた。当時のニューヨークタイムズはこう報じている。

「礼儀作法の点では、アメリカ人は日本人に教えられる所が多かろう。彼らは上品に礼儀正しく会釈をし、なんの苦もなく紳士的な敬意をもって人を遇する。個人の客間でも公の歓迎会でもまた街頭でも、彼らの振舞はきわめて高く称賛された」

 1873(明治6)年留守政府は西郷隆盛を全権大使として朝鮮に派遣することを決めていた。外遊から帰ってきた大久保利通や伊藤博文にとって、これはとんでもない見当違いの政策に思われた。欧米との国力の落差を知れば、外征などもってほかで、内政の整備や充実こそ最優先の課題でなければならなかった。この当時伊藤博文は意思決定に直接かかわる参議ではなかったが、非征韓論の立場から関係者の間を周旋してまわった。裏方として西郷隆盛派追い落としの逆転劇を演出したのは彼だった。


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