橋本裕の日記
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司馬遼太郎さんの「世に棲む日日」を読んでいる。読んでいるというより、読み返しているという方が正しいのだろう。たとえば次のような文章が冒頭近くにある。
「吉田松陰は藩の行政者でもなく、藩主の相談役でもなく、ないどころか、松下村塾の当時のかれは二十七、八の書生にすぎず、しかも藩の罪人であり、その体は実家において禁錮されており、外出の自由さえなかった。この顔のながい、薄あばたのある若者のどういうところがそれほどの影響を藩と藩世間にあたえるにいたったのか、それをおもうと、こういう若者が地上に存在したことじたいが、ほとんど奇跡に類するふしぎというよりほかない」
吉田松陰のことを、司馬さんは「これほどの思想家は、日本の歴史の中で二人といない」とも書いている。吉田松陰の奇跡は、彼が若くしてすでに超一流の思想家であったという点にある。デカルトの啓蒙思想がやがてフランス革命を導いたように、松陰の思想が長州藩に革命をもたらし、やがて日本を明治維新へと導く。
それでは彼の思想のすごさはどこにあったのか。当時長州藩には山県大華という全国に名の通った学者がいた。藩校「明倫館」の学頭(学長)であり、長州藩における学問上の権威者である。当時80歳だった彼に、二十七歳の松陰は獄中から質問状を送り、以後二人の間で論戦が続いた。
松陰は「毛利家は天子の臣である。長州藩はおろか、天下の人民はすべて天子の民である」という。これに対して、大華は「毛利家の防長二州は天子からもらったものではなく、将軍からもらったものだ。毛利家が天子の家来であるというのは妄論である。あくまで将軍家の家来である」というものだった。この点について、司馬さんの書いているところをいま少し紹介しておこう。
「松陰の天皇イデオロギーは、裏返すと人民イデオロギーになっていく。日本国で神聖なものは天皇だけであるという思想は、天皇という神聖点を設定することによって将軍以下乞食にいたるまですべて日本国の人間は平等である、ということになってしまう。一君万民思想である。つきつめれば大名の存在を否定するところまでいかざるをえない。封建体制下では、非常な危険思想であった。が、伊藤博文や山県有朋といった足軽やそれ以下の下層出身者にとってこれほど魅力のある思想はなかった」
ちなみに勤皇思想といえば本居宣長の「国学」や水戸学派が有名だが、これらの勤皇思想には松陰の思想の眼目である「一君万民」の観点はない。むしろ天皇の権威にすがって、自らの封建的支配体制を合理化しているだけである。松陰の思想には、天皇という権威の下に、幕府やそれにつながる藩体制、ひいては自らの出自である武士階級そのものを否定する力強さがあった。こうした時代に先んじた革命的な思想を、松陰はほとんど独力で作り上げ、しかもこの思想に殉じて死んだのだった。
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