橋本裕の日記
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2003年08月05日(火) 獄中の俳句会

 松陰の発案で、野山獄のなかに「俳句会」が設けられ、手始めに吉村と河野が自分たちが俳句を作り始めた動機について話した。二人とも獄に入ってから俳句を始めた。だから決して巧くはないが、今はこの不自由な獄内で、十七文字に自分を表すことが生き甲斐になっている。そんな話だった。

 話を聞いていると、自分たちも作れそうな気がしてくる。そこをすかさず松陰は「われわれも俳句をつくろうではありませんか。そしてお互いに発表しあいましょう。俳句を作って、暗い牢獄生活を少しでも明るくしましょう」と水を向けた。松陰に乗せられて、「おれもやってみようかな」という気持が囚人達のなかに広がった。そして始めて見ると、これが案外面白かった。こうして俳句の会は次第に盛会になって行った。

 牢獄の最高責任者は福川犀之助という武士だったが、彼は松陰に好意を持っていた。松陰が入牢してから牢の雰囲気がかわった。囚人の暗く不機嫌な表情がよくなり、同時に獄卒とのいざこざも少なくなった。獄卒も表情がおだやかになり、やがて句会に参加するようになる。後に松陰は孟子を講ずることになるのだが、その時は福川自身が聴講した。そればかりではない。彼はこの年下の囚人を、やがてわが師と呼ぶようになる。松陰はこのように周囲の人間を感化する不思議な魅力を持っていた。

 この句会には同じく野山獄の囚人だった高須久子という39歳の女性も参加した。彼女は武士の未亡人だったが、素行上問題があったとして4年前に投獄されていた。素行上の問題というのは不義密通である。世間の常識からすればとんでもない淫女だが、松陰は温かく彼女を受け容れた。たとえば二人の間にはこんな歌のやりとりが残っている。

 酒と茶に徒然しのぶ草の庵  (松陰)
 谷の流れの水の清らか     (久子)

 四方山に友よぶ鳥も花に酔い (久子)
 蝶と連れ行く春の野遊び    (松陰)

 牢獄にあって、二人の心は自由に野山に遊んでいる。二人の間に恋愛感情があったという人もいるが、真偽はわからない。いずれにせよ、こうした歌合わせなどを通して、美しい心の交流があったことはたしかである。


橋本裕 |MAILHomePage

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