橋本裕の日記
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デューイの考え方を要約すれば、「学校は社会生活の歴史的進歩を代表する小世界でなければならない。そのためには学校と社会との間に活発な相互作用が行われなければならない」ということである。
民主的な社会が自由な市民の創造的で自発的な活動で成り立っているように、民主的な市民を育てる学校も、生徒と教師の自由で自発的な活動によっていとなまれる小社会でなければならない。この新しい教育理論は、二十世紀初頭の30年間でアメリカ全土に行き渡り、教室の風景を一変させた。その変化がどれほど大きかったか、それは当時書かれた文章を読めばわかる。
「こんにちでは、子どもたちの課業を見て、とんとわけのわからなくなっている親たちが無数にいる。教えかたも、教わっていることがらも、だいいいち机のかっこうや仕掛けからしても、二、三十年前とは万事様子がかわっている。多くの親たちは、腕白どもが何のことはない、のべつさわいで遊びほうけているように見えるので、内心これでようものだろうかと内心うたがいたくなるようである」(1929年 H.W.Schneider)
「こんにちアメリカ国内で、通りがかりに学校の教室の窓をのぞきこむ人は誰でも、かれらの父親や母親がかってのぞきこんだときとはまったく異なる光景を目にしているはずである。教室は作業場のように設営され、そこでは子どもたちは机の前に釘付けなどになっていないのだ。子どもたちは各自のグループの仕事に立ち働き、教室のなかを自由に動きまわっている。先生はすまして生徒の暗唱をきいていたりなどしないのだ。先生もまた自由に生徒のあいだを歩きまわり、かれらの仕事をはげましている。これは先生が目を光らせている、あの旧来の教室ではなく、大勢の子どもたちが幸福につどい遊んでいる家庭といったほうがよい。他のいかなる領域にもまして変化をもたらすことの困難な教室に、このような大きな変化がもたらされている」(1930年 E.C.Moore)
ここに引用したのは、もう70年以上も前にアメリカで書かれた文章である。アメリカでは旧態依然の教育を打破すべく、このようにおおがかりな教育改革が短期間に国を挙げて行われた。そしてこの教育改革を支えたのはデューイのすぐれた教育理論と実践だった。
ひるがえって、日本の場合はどうだろうか。日本の学校は、いま社会の流れから取り残されようとしている。IT化などによって社会の変化は加速されてきているが、学校制度やカリキュラムはほとんど昔のままで、教員の意識もほとんど変わらない。学校は社会の変化に対応する能力を欠いているように見える。
そこで、日本の学校にも「評議委員制度」を作り、学校に外部からの声が届くようにしようという動きが出たきた。これまでは教育委員会が学校を監督・指導してきたが、その外にもうひとつあらたな窓をもうけて、学校と社会の風通しをよくしようというわけだ。私の勤務校でもこの動きが出てきている。
社会が学校に求めているのは、新しい社会に適応し、その担い手になれるような人材である。それは急激に変化する社会に対応して、自分で考え、自分で状況を判断できる知性を持った人間である。これまでのように集団埋没型ではなく、個性的で創造的な人間の育成が求められている。
こうした社会の声に押されて、かっての文部省もようやく重い腰を上げ、「教育改革」へと一歩を踏み出した。教育の規制をゆるめ、学校の裁量を認めようという動きがこれである。また、知識偏重の画一主義から脱却して、興味関心の重視、自ら考える力の養成を重視している。
個性的で自由な人間を育てるには、知識注入型ではなく、生徒の興味関心を重視する内部啓発型がのぞましい。いわゆる「ゆとりの教育」や学校五日制への移行のねらいもこの点にある。しかし、こうした改革が今現場に混乱をもたらし、社会に不安を与えていることも事実だ。ここへきて科学教育省も腰がすわらなくなり、方針が揺らいでいる。
日本の教育改革の行方は混沌として、行き先が見えにくなりつつある。その理由は日本の場合、教育改革に哲学や理念がないからである。したがって、だれもその到着点がわからず、少しの批判に右往左往してしまう。このことは教育改革のみならず、政治改革や経済改革にも言えよう。
デューイは学校は単に社会の従属物ではないと考えていた。学校は社会の変化を先取りし、理想的な社会を実現するエンジンでさえあった。学校を変えることで社会を変えることができると考え、教育改革に情熱を燃やしたのである。日本にデューイのようなすぐれた思想家がいないばかりでなく、デューイのこの情熱と実践から学ぶことさえしない日本の現状が残念である。
(参考文献) 「学校と社会」 デューイ 宮原誠一訳 岩波文庫
<今日の一句> 暑き日に むすびはうまし 茶もうまし 裕
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