橋本裕の日記
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2002年07月23日(火) 「テス」の魅力

 数日前からハーディの長編小説「テス」(岩波文庫全2巻)を読み始めた。大学時代に読んで以来、30年ぶりの再読である。毎日少しずつ、20日間ほどじっくり味わいながら読んでみたいと思っている。

 再読と言っても、これほど時間がたっていると、ほとんど細部は忘れているから、始めて読むのと変わらない。そして今更ながら、ハーディの文章のうまさに感心する。ともあれ、冒頭近くでテスを紹介した文章を写してみよう。

「この頃のテス・ダービフィールドは、経験の色に染まぬ、一個の感情の器にすぎなかった。村の学校は出ていたが、彼女の言葉にはいくぶん方言がまじっていた。この地方の方言の抑揚の特徴は、UR(アー)という音節でおおよそ表される発声で、おそらく、人間の言葉のなかで、これほど豊かなものはないであろう。

 こんな音節を自然に出すためには、深紅の唇を尖らさねばならないが、それはまだ一定の形に落ち着いていなかった。そして、一言いって唇が合わさった時には、下唇が上唇の真ん中を上へ突きあげるくせがあった。

 彼女の顔つきには、まだ幼い頃の面影が残っていた。今日も、歩いている彼女には、見るからに元気のいい美しい女らしさにもかかわらず、時としてその頬には十二歳の彼女が見られ、瞳からは九歳の彼女がきらめき、また、ときおり、その口の曲線に五歳の彼女さえちらちらするのであった。

 しかし、このことに気づく者はごく少なく、心にとめて考えてみる者に至ってはなお稀であった。わずかの者、それも主に他国者が、ほんの通りすがりに彼女を眺めて、そのみずみずしさにしばし心を奪われ、二度とふたたび会うことがあるだろうかと思うのだった。が、たいていの人にとっては、彼女は上品で絵のように美しい田舎娘、ただそれだけにすぎなかった」

 南イギリスの片田舎に生まれたハーディは、中学校を卒業した後、父親のあとをついで建築家の道を歩んだ。その一方で詩や小説を雑誌に発表し、長編「遙か群衆を離れて」の成功によって著述業に専念することになったが、その文章は、上の引用でもわかるように、建築技術にも似た精緻さと繊細さ、そして構成の美しさをもっている。

 とくに「テス」にはハーディの作家として円熟した技が冴えている。自然主義的リアリズムに立脚し、冷徹な人生哲学に貫かれながら、しかも古典建築風の優美さと典雅さをそなえている「テス」についていえば、当時から大方の批評家が名作だと認め、賛辞を惜しまなかった。とくに主人公「テス」のはかなくも美しい悲劇的な生涯は、多くの読者に深い人生的感銘と、消えることのない美的感動を与えた。

 このあと書かれたゴチック的グロテスクさと生硬な生真面目さの目立つ「日陰者ジュード」は、一転してさんざんの悪評に迎えられた。「テス」のかぐわしい成功に比べ、「ジュード」はあまりに暗く醜悪で、唾棄すべき失敗作と見なされた。たとえばある司教は「傲慢かつ卑猥」なこの小説にむかついて、これを焼き、その灰を作者に送りつけてきたという。またハーディ夫人エマはその内容を事前に知って驚愕し、その出版を阻止すべく有力者に手紙を出している。

 こうした世間や身内の敵意と悪意、無理解の中で、ハーディの精神は傷つけられ、以後死ぬまで30年以上小説の筆を折ってしまう。しかし、「テス」の作家として、ハーデイの名声はこれによって大きく損なわれることはなかった。1928年、彼の死にともない、遺骨は国葬の礼によって、ウエストミンスター寺院の「詩人の墳墓」に葬られている。

 今日、「テス」と「日陰者ジュード」のいずれをハーディの代表作とするか、意見が分かれている。私見を言えば、「テス」の成功が、ハーディにあえて「日陰者ジュード」の冒険をさせたのだろう。「テス」の芸術的な大成に甘んじることなく、「ジュード」の孤独で不安な荒野へと赴いたハーディに、私は美の破綻も恐れずあくなき真実を追究した作家魂のしたたかさをみる。この意味で、ハーディはきわめて現代的な、そしておそらく将来においてより高く評価される作家ではないだろうか。

 なお「テス」は1979年に映画化されている。監督はロマン・ポランスキー。テスを演じたのは、永遠の美女とうたわれるスターシャ・キンスキーだ。弱冠18歳の彼女はこの映画でゴールデン・グローブ賞新人映画女優賞を受賞し、同賞最優秀女優賞にノミネートされて、一躍国際的スターになった。

<今日の一句> 書のなかの 清しき少女に 暑を忘る  裕


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