橋本裕の日記
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| 2002年02月17日(日) |
予備校講師たちの企て |
90年代のはじめの頃、入試の終わった3月末、予備校講師の間で、ときどきこんな会話が交わされていたという。
「N1クラスのTを知っているか。クラスの面倒見もいいし、入試ではがんばってくれるといいと思っていたのだが、全滅したらしい」 「ああいうパワーがあって根がまじめなヤツが落ちるなんてもったいない感じがするな。今クラス全員が世の中に出てヨーイドンで仕事についたら、クラスの誰よりもあいつがいい仕事をすると思うのにな」
丹羽さんは著書の中でこうした会話を紹介して、「教室で生徒を毎日見ている予備校講師たちは、日本の大学入試というものが、主にペーパーテストで行われる以上、ペーパーテストでは計ることのできない、たとえば行動の領域でいかに優れていても合否には何の足しにもならないことを、毎年嫌というほど見せつけられてきた」と書いている。高校の職員室でもまったく同じ会話が交わされることがある。
ただ、予備校の先生方の偉いところは、彼らを何とか救済すべく知恵を出し合って、実行に移すところだろう。その行動は一人の講師のこんな提案から始まった。
「アメリカという国はいろいろ問題を抱えた国だが、教育に関しては日本と違って規則が少なく度量の大きい国のように思える。特に子供の個性をいかに引き出すことができるかが、良質な教師の誇りになっているようだ。そして稀にではあるが、途方もなく理想主義的でかつ実行力を備えた教師集団を抱えた学校があると思う。その学校をさがそう。そこへ我々のアウトサイダーたちを送り込もう」
そこで、約400の大学・短大に手紙を書いたのだという。そしてワシントン州立のコミュニティ・カレッジに白羽の矢が立った。このカレッジは普通に留学する場合、TOEFL550点の位の英語力が要求されるのだが、学長がこれを不問に付してくれた。
「私どもは困難な課題をあたえられると奮い立つのです。事情が事情ですから、英語をはじめ教科の成績は一切問いません。あなた方の送った生徒をすべて受け入れましょう。ただし、やる気のある生徒を送ってください」
そこで、いよいよ生徒の選考がはじまった。もちろんペーパーテストで「やる気」は計れない。さあ、どうするか。知恵をしぼったあげく、次の3点の関所を設けることにしたのだという。
�.▲瓮螢�に出発する9月までの3ヶ月の間に、アルバイトをして渡航費用の30万円を自力で稼ぐこと。 �∋海留�の農場で1週間合宿し、農作業をする。晩飯に3人に一羽の生きた鶏をあたえて、工夫して食べさせる。 �F�本の歌を3番まで歌って、その意味を相手に分からせる。手持ちの英語を総動員し、さらにボディランゲ−ジも使ってよい。ともかく分からせること。
こうした珍妙な「試験」を無事通過した13名がアメリカに送られた。アメリカの大学の単位認定は厳格で、したがって卒業もむつかしい。ところが、結果は1名を除いて、ほぼ全員が卒業したのだという。
ところで、落伍した1名はどうなったかというと、これがまた面白い。彼は3人の子供を抱えた年上の米国女性と恋に落ちて、結婚して大学を辞めた。そしてお金を儲けて、日本料理屋を開業したのだという。「人によっては彼がこの自立プログラムの一番の具現者だという」と丹羽さんは書いている。
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