橋本裕の日記
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今日も河合塾の丹羽健夫さんの「悪問だらけの大学入試」に書かれた内容の紹介をしよう。この本は題名からは想像できないほど内容が豊かで、読み応えがある。まだ数日間、この本を肴にして文章が書けそうである。
さて、今日のテーマは、学習の傾向として生徒には「�〕�解型」と「��納得型」という二つのタイプがあるという話である。丹羽さんによると、「理解型」の生徒は、たとえば次のようなタイプの生徒である。
「そもそも数学という教科は、誰か知らぬが頭のいい人間が作ったものであって、教科の内部は構造的に整合性があり、必ず問題に対する答えはある。だから今解けなくても教科の領域を逐次学習していくうちに、必ず答えは向こうから姿を現すであろう。それまでちょっと横においておきましょう」
これに対して「納得型」は、一つ一つの事柄に対して、納得できないと気が済まない。「大げさに言えば、森羅万象に照らして正しくなければ納得できないし、先に進むことができないのである。しかし、いったん納得すると喜びが体に満ち、勇気百倍して先に進む」
たとえば、分かりやすい例が「分数の割り算」だろう。「分数で割るときには、ひっくりかえして掛ければよい」と教えられて、「なんだ簡単だな」と考えるのが「理解型」で、「分数で割るというのはどういうことだろう。なぜ、ひっくりかえしてかけると正しい答えがでるのか」といちいちこだわらずにいられないのが「納得型」だ。
この二つのタイプの内、どちらが受験競争の勝者になるか、結果は明らかだろう。つまり、「納得型」はペーパーテストであまり高い得点をとることはできそうにないのだ。それどころか、学校に適応できず、かなり早い段階で競争から脱落し、いわゆるおちこぼれになる可能性がある。
しかし、本当に独創的な研究が出来るのは、ほとんどこの「納得型」である。ノーベル賞級の学者で、納得型に属さないような学者はいない。「理解型」はただ他人の研究成果を迅速に理解し、これを紹介することはできるが、創造力は持ち合わせていないからだ。
アメリカのAO(アドミッション・オフイス)入試は、日本の選抜システムとは違って、「納得型」探しである。AO(学生募集事務室)の職員が、長い時間をかけて何度も生徒と面接し、素質を見極める。そしてその際、「入学時点での教科の学力をあまり重視しない」のだという。むしろ教科学力をささえる、その根本にある潜在的な学力(第二の学力)を重視する。
さて、そこで丹羽さんがこんな提案をしている。「高等学校や予備校の『良質でこころある先生』は納得型の存在に気付いている。・・・それらの先生に推薦をお願いする。・・・これを繰り返すことによって、その大学独自の推薦ネットワークを作り上げていく。ひとたび納得型の獲得に成功し、その能力を引き出す方法を会得すれば、後発大学がいくつかの研究分野で東大を追い越すことも決して夢ではないと思う」
丹羽さんはこれからの日本には納得型が必要だという。「理解型、肯定型、予定調和型ではなく、森羅万象に照らして発想する納得型の創造力、知的攻撃力が最先端の新たな状況を切り開くのではなかろうか」
「昨今、不登校児が増えているのは、時代が納得型の重要性を世の中に知らしめるために謀った、納得型の反乱、蜂起のようにならないのだが。その納得型がこれからの大学の存亡の鍵を握るであろう」と丹羽さんは書いている。
日本の大学、官庁、産業界のトップはいずれも「東大」をピラミッドの頂点とする「理解型」の秀才で占められている。納得型を排除するシステムがこれ以上続くと、ことは「大学の存亡」というより、「日本の存亡」にかかわってくるかもしれない。
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