橋本裕の日記
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| 2002年01月09日(水) |
愛することの意味(2) |
昨日の私の日記について、北さん、tenseiさんからコメントをもらった。北さんは、<橋本さんの論は、やや観念性が強すぎるような印象があります>と言う。たしかに、「愛はすべて自己愛である」という結論は極論のように見える。これだけでは説得力がない。
tenseiさんも同じような感想らしい。「さとり」や「宗教的解脱」といった崇高な愛にこだわっていては、いつまでたっても愛は実現できないのではないか。愛はもっと身近なところから出発していいのではないかと言う。さらに、こう書いている。
<憎悪は感情一本やりだけど、愛は、恋とか母性・父性とか、血縁の情とか、友だち感情とか、そういう感情に活気づけられる感情的な場合もあれば、意志、という場合もあると思っています。>
つまり、愛には「感情的」なものばかりでなく、「意志的」な側面のあるというのはその通りだろう。<その意志的な愛が、お互いの感情に変化をもたらす可能性がある>という主張はよくわかる。
私は「愛はすべて自己愛だ」と書いた。これが命題として成り立つことに疑いは持っていない。そして、「他者を自己と等しい者と感じるとき、他者への愛が成り立つ」ということも、その通りだと思っている。
しかしこれはあくまでも、愛についての基本的認識であり、抽象的な定義であって、実践論ではない。あしたの日記で、このあたりのところを、もうすこし考えてみたい。(どなたでも、私の考えに異論があれば、遠慮なく掲示板に書き込んで下さい)
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