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2005年01月15日(土) 近況

雨が降っている。家の中には洗濯物がある。結露のついた窓を開けたら水の流れる音と、男の人の咳払いが聞こえた。電柱と電線と古い一軒家と高層のマンション。小さな路地。空。鳩。鉢植え。家の窓から見える風景が好きだ。



■「霧のように雨を含んでひろがる風である」

先週、石牟礼道子の『苦海浄土』を読了してから、ずっとそのことを考えている。こんなに折り目を付けた本は、久しぶりだった。



(引用:チッソの社長が患者宅を訪れた後の場面)

「ちっとも気が晴れんよ……。今日こそはいおうと、十五年間考え続けたあれこればいおうと、思うとったのに。いえんじゃった。
泣かんつもりじゃったのに、泣いてしもうて。あとが出んじゃった。悲しゅうて気が沈む」

彼女は前庭を歩き回ったり、そばに来て縁に腰かけたり、かがみこんだりしながらいう。

「親からはおなごに生んでもろうたが、わたしは男になったばい。このごろはもう男ばい」

伏目になるとき風が来て、ばらりとほつれ毛がその頬と褐色の頸すじにかかる。その眸のあまりのふかいうつくしさに、わたくしは息を呑んだ。霧のように雨を含んでひろがる風である。




なんときれいな言葉だろうか。何を見ても、聞いても、リアルには感じられないもどかしさを、石牟礼さんの文章は溶かして、読者の体にしみこませてくれるのだ。水俣病について本を書き、それを売ってお金にすることについて、作家の中にあっただろう葛藤を想像する。それでも(不特定多数ではなく、特定の)誰かの苦しみや悶えを、自分の年月に引き受けて書き続ける人の、強さを思う。

昨年、ある人から「バナナさんの日記を読んでいて、今日は空滑りだな、と思う日は、たいてい読んだ本や人から聞いた話について書かれています」というダメだしのメールをもらった。本を読んだこと自体が、あなた(私)の価値になるのではない。それを自分に引き寄せて考えなければ、感想を書く意味はないということだ。

私は石牟礼道子に、もっと近づきたいと思う。現実的には何の接点もない彼女の文章に、いったい何故惹かれるのか。しばらく考え続けるべき命題である。



■森山新宿荒木@オペラシティー

目新しいものはあまりないような気がしたが、展示の最後にあった『≒森山大道』という映像作品を見られたことが一番の収穫。楽しそうに写真をとる人を見ているとこちらも楽しくなる。良作も駄作も含めて、こうして愛せる作家がいてくれることに感謝する。

森山氏は昔、ナショナルのこたつのカタログを撮ったことがあるとか。その写真見たいなあ。



■Caz

今年の目標は100万円貯金なので(おまえはすてきな奥さんか)『お金を貯める! 絶対殖やす!!』特集を買ってみる。よく考えてみたら、30歳まであと7年しかないわけで、一年に100万ずつためていっても700万。1000万には遠く届かないということが判明した。その上月3万円の今のペースでは、年100万なんて単純計算しても絶対にたまらない。やばいなあ。やっぱりもっとボーナスがほしいなあ。

…と電話で母に愚痴っていたら「そんなにお金お金言ってるとお嫁に行けなくなるわよ。もっときれいなかっこしなさい」とたしなめられる。そうだな、きれいなかっこして30歳付近のアートディレクターと結婚し、伊藤まさこのように布を愛して生きていくのが最良だ、という結論に達する。


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