| 2004年11月20日(土) |
誇らしげに言うならきっとそういうことなんだろう |
2年前の10月頃から、就職活動を始めた。
ちょうど今頃、『マスコミ就職読本』編集長のエントリーシート添削講座があったのをふと思い出す。私の書いた紙が、大隈講堂の前のスクリーンに映し出され、全員の見本になっていた。編集長は「このくらい書けていれば書類は通る。去年ここで見本になった人は講談社に受かりました」と言った。その後に通った出版専門の予備校でも、作文が匿名でしばしば見本になった。「文章が抜群にうまい。こういうのは5年に1度くらいしか出ない。君は大手に行けるかもよ」と先生は褒めてくれた。
嬉しかった。私、けっこういけるのかも、と思った。
1月から実際の試験が始まった。結果は散々だった。本当になにひとつ、うまくいかなかった。面接が嫌いだった。話しても話しても落ちた。そのうちに何を話して良いのか分からなくなった。通るはずのエントリーシートで門前払いをくったこともしばしばだった。
それでも先生の言葉を信じた。「出版社に受かるには、ぜったいにあきらめないこと」。
自分との戦いだった。「自分との戦い」って何だよ、臭いなあ、と書いていて思うけれど、本当にひとりぼっちだったのだから他に書きようがない。助けてもらえなかったということではない。誰に何と励ましてもらっても、自分のお金で食べていくのは自分だから、私はひとりでやらねばならないと思っていた。
「まだ○○社がある。進むだけだ」 当時の日記には、前向きな言葉ばかりが並んでいる。怖いくらいだ。
3月、4月になり、ゴールデンウィークが過ぎても、希望の会社には内定がなかった。誰とも会いたくなかった。「シューカツどうなったの?」と聞かれるのが、(相手に悪意はまったくないのだが)本当に苦痛だった。電話にも出たくなかった。用件のついでに進路の話になるのを避けた。誰かと話す時は、「就職はまだ決まってないけど、今に何とかするから見てろよ」というひとことから会話を始めた。
もしもし、の後に「バカにするなよ」と言って電話を始めたら、前の彼に笑われたことがある。「なんでそんな、『なめんなよ』のなめねこみたいな話し方なの?(笑) 別にへこんだのが理由で電話したっていいんじゃないかな」。
眠る前には涙が出た。布団の中でしくしく泣いた。何故泣くのか分からなかった。失恋した時よりもしつこく、毎晩静かに涙が出た。行き先がない、分からないというのは、これほどにつらいことかと思った。
落ちた内の一社でアルバイトとして拾ってもらった。それが今の会社だ。縁とは不思議なものだとつくづく感じる。
今回、大きな異動があり、今まで一緒にやってきたチームの人と別れることになった。金曜日に「解散飲み会」があった。(お世辞とか策略かもしれないけれど)「僕はバナナさんを買ってるんだよ」とおっしゃってくれた、大好きな上司とも離れる。一生懸命秋葉原の「サンボ」という牛丼屋の話をする彼を見て、あついものが胸にこみ上げてきた。学生時代はアルバイトをするたびに人間関係に悩んでいたので、仕事というのは嫌なものだと半分諦めていた。こんなにいい人達に囲まれて働けることは奇跡のように思えた。
仕事は楽しい。忙しくて休みたくて、すげーめんどくせえ、寝たい、と何度も思うけれど、それでも楽しい。辞めない。こんな風にかっこよく書くと、まるでとっても素敵な仕事をしているようだが、そんなことはない。有名人を取材するわけではない。村上春樹の担当編集者なわけでもない。くだらない雑務で一日が終わる。それでも、幸せだと思う。
自分に未熟なところが無限にあるのは痛いほど分かっている。頑張らないといけない。くじけそうなほど疲れた時は、就職活動のことを思い出している。たったひとりで戦った当時の自分に、恥ずかしくないかと。
新しい仕事をすることになる。少し緊張する。
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