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2003年12月13日(土) 優しさが繊細さに繋がるのなら、私は繊細な人が好きだと言わねばならない。

■Elliot Smith

亡くなった人に過剰な思い入れであれこれいうのは、それ(死や不在)と関わりなく普通に彼や彼女を愛している人々に失礼なのは知っていて、しかし、亡くなってからその素晴らしさに気付いた私にはエリオット・スミスの残骸のような情報を寄せ集めるしか愛情を消化する方法のない休日なのである。

実をいえば彼が亡くなる1週間ほど前にちょうど友人のrinちゃん(GO!)と遊んで、「エリオット・スミスすげえいいよ」という話を聞いていた矢先。以前頂いていた大量のMDの山から『XO』と『eithor/or』を取り出して聞くところだった。いまだに歌詞カードも何の情報もない。何を歌っているのかも思想もよく知らないのに、それでもこれほど心に染みる音楽があるのかと驚く。

未発表集が出るという。(GO!)
顔写真をクリック。(GO!)
音源あり。(GO!)



■「敬意」なんて重いよね?

友人が、「『マー関口ロック画集』立ち読みしたよ」というので嬉しくなり、「いいでしょいいでしょ?」と興奮した。曰く、「何がこんなに笑えるんだろう?って考えたんだけどさ、分かったよ。敬意がない!」そう。

あはは。その通り。世界の隙間に潜む狂気をすくい上げる奇跡のファルセット、あのトム・ヨークさまにアザラシをもたせるのよ。そりゃあ(いい意味で)無知でなきゃできないよ。私が偉くなったら初めにお仕事を頼みたいのはマーさん。

昨日高崎線の最終電車に乗っていたら、前に座った男性がはなくまゆうさく(GO!)の漫画を熱心に読んでいた。こぶとり、変なジャンパー、やたら厚着の彼をいとおしく思った。



■原宿




このあいだ頼んでいたジーンズをとりにいく道すがら、原宿に久しぶりに寄った。平日の夜、寒いのに、路上にはけっこうな数の暇そうーな若者が群れている。(おそらくギャルソンの)黒い服を着た業界人が、忙しそうにキャフェに出入りする表参道周辺とは対照的だった。

高校時代、あれ程コンプレックスを持ってはらじゅく、はらじゅく、と出かけていたその町は、代官山や青山や、あるいは中目に「エッジさ」を持って行かれて少し落ち着いたように私には思えた。

それでも、竹下通りやキャットストリート、さらに明治通りから一歩入ったいわゆる「裏原宿」にはこまこまと小さなお店が軒を連ねている。昔と少しも変わらず、そこには安くて可愛い宝物を探しに来る、本当に洋服が好きそうなお客さんがいるのだ。

偉そうなビルに入って好きなブランドだけをチェックしては、「欲しいものがない」とのたまっていた最近の自分を恥じた。かっこわるいな、と思った。



3万円のヒステリックグラマーのオーバーオールを3回も4回も下見して、悩んで悩んで悩んだ末に欲しかった色が無くなり、それでもどうしても気になってまた何度も通っているうちに新色が出て、それが自分に似合うのかも考えずにようやく手にはいることが嬉しくて嬉しくて、でも恥ずかしいから「試着させてください」とも言えずにただレジに興奮しながら持っていった16歳の私を思い出す。卒論からの現実逃避で段ボールに入っていた昔の服をひっぱりだしたら、ヒスやらグラマラスやら、カウンドダウン(古着)やら、思い出の洋服が沢山出てきた。大学の新歓コンパに勇んで着ていったオレンジのトレンチコートが懐かしい。

新しいお店が出来たと聞けば地図を片手にすぐさま駆けつけ、キューティーのページを隅々のキャプションまで舐めるように読んだ頃。高円寺特集の次の日には、その駅に初めて降り立っていた鼻息の荒さったら!



「3万円」は高いけれど出せる金額になった。そして私はわくわくすることを忘れかけている。プラダの表参道店が、どんな建築家の設計によるかなんて、少しも考えていない若さのパワーはすごい。3000円のトレンチを、私は今でも着られるだろうかと、ハンガーにかけて眺める。

繰り返す流行、使い古されたモチーフ、結局、アートではなく商売でしかないモードの世界。失望の種はいくらでもある。それでも私は死ぬまでおしゃれしたいぜ。服を愛したいぜ。おしゃれな人にはきっとなれない。おしゃれがしたいからするんだ、それだけの人になればいいと、あの温かい原宿の路地たちが教えてくれた。


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