夢路いとしの追悼番組をBSでやっていた。何と普通で、くだらなくて、小さな笑いなのだろうと思う。普通なのに、こんなに面白い。君こいしは、兄の思い出を語りながら少し泣いていた。
ここまでぐるぐる回って、全く文章を書く意味を見失い、インターネットに繋がっていることに疲れながらもまだ書いていることの奇妙さと、喜び。最近は暗い自分を避けながら洋服ばかり買って、唯物主義者になろう、クールにやりたいと願ってきた私だ。
それが結局は、自ら孤独と向き合う作業に戻ろうとするこの禁欲的態度は何なのか。
この土日は久しぶりの休みだった。土曜日は横浜美術館に中平卓馬の写真展『横浜原点回帰』を見に行く。「知らない住宅地」「ある河岸の風景」が東横線の窓に次々に広がって、「見ず知らずの人々」が向かいの席に座っている。それだけで嬉しかった。特急が着いた桜木町の駅からは海が見えた。
彼に関する知識はゼロだったのであるが、中平卓馬という人は既成の写真を壊すような構図の写真を撮ってきたいわばアウトローなアーティストだったらしい。それが、『植物図鑑』という作品を境に写実主義者に変わった。ただ、「そこにある、あるがままの世界」を撮る。こちらのイメージするもの、人や、こうあるべきだと描くそれではなく、ただただ彼の前にある、横たわっている絶対的なものを撮る。
昔のファンから届いた批判を掲載している資料(『美術手帖』)に目がとまった。「かつてあなたの写真には詩があった。『植物図鑑』以降の写真には、単に対象があるのみである」と書くその青年の主張に、中平が反論する形で論文を寄せている。何故私は夜を、ぼけた像を撮ったのか。何故白昼にレンズを向けなかったのか。彼は、読者を説得しながら繰り返し自問している。白昼に耐えられない自分を知り、夜というよくわからない闇の中に孤独を隠すという行為は傲慢であり逃げであった。世界を歪曲し、単に自分のなかのあるべき姿として撮っていたに過ぎなかったのではないかと。(私にはそう読めた)
2003年の横浜を、かれは鮮やかなカラーで切り取っている。まさに、そこにある物に、世界に、カメラとはまさにこのためにあるのだと大きな声で叫びだすかのように、まっすぐな視線を向ける。
「世界はただそこにあるだけ」「日々は続くだけ」それは決して悲観ではないことを、分かったつもりでいる。結局生まれて食べて、セックスをし、子供を産んで死ぬのならば、われわれの日常とは、瞬間瞬間をただ"ある"世界と対峙していく限りなく空白の景色でしかない。しかしそこには、きっとうまいカレーライスやきれいな紫色の花や、あるいは戦争を写したテレビの映像があるだろう。くだらない夢路いとしの笑いや、彼の死や、そのドキュメントを見る私のある夜があるのみだろう。
しかし、この写真展を見た私が思ったのは、やはり彼のファンである青年と全く同じ感想だった。
詩を見せてくれ。
詩を見せるのが、写真家だろう。詩を見せるのが、芸術だろう、物語だろう。そう思う。センチメンタルで格好の悪い、滲んでぼけた世界でいいから、中平卓馬が傲慢にも作り出したその妄想に触れてみたい。
世界はただそこにある。世界って何だ?結局私のリアリティは、私のものでしかない。しかし私には言葉に出来ないかもしれない、残念ながらカメラもない。
中平には「言葉」があるではないかと思う。揺れてぼけて孤独で、そんなセンチメンタルな夜を撮ってくれよ。白昼の明るさの中に、自分を晒して辛いならば部屋を撮ればいいだろう。そう思うのだ。
夜の一時過ぎ、「写真展どうだった?」とメールをくれた友達に電話をして、朝まで話した。その人は「うわー、白昼に向き合うんだね、そりゃあ息詰まるよなあ、死ぬまで撮るしかないのかなあ」と苦笑して言った。
夕方、祖母の入っている老人養護施設に初めて顔を出す。彼女がそこに入ってから、どうしても気が進まずに避けてきた面会だった。
耳の遠い祖母は、コミュニケーションがうまくいかない。だから自分の言いたいことを話すのみだ。「れいこは大きくなったねえ、こんないいむすめさんになっちゃって」。同じ台詞を何度も何度も、2.3分おきに繰り返す。「せっかく来てくれたのに、また行っちゃったら寂しいよ」。帰ろうとしたら小さな声が後ろから引き止めた。
午後6時。車いすの老人たちはおのおのの部屋から食堂に集まってきて、順番にご飯を食べさせてもらうところだった。静かな、食卓だった。
泣きそうになるのを、必死でこらえていた。
何故、今まで避けてきたのだろうか、なんともいえない情けなさとむなしさが襲う。「れいこ、ばあちゃん喜んでたんよ、ありがとうね」。帰りの車の中、父がその母と同じ小さな声で言ってくれた。
本を作るのに飽きたらここで働こう。気まぐれと怒られても反論できない、しかしあるはっきりとした考え、意志、目標のようなものが頭をかすめた。人の弱さと向き合うことは、決して文学や物作りでない場所にもあるのだ。そんなことは分かっていたはずなのに、すっと肩の力が抜けた。ものづくりってなんだろうね。
白昼を撮り続ける中平卓馬の強さと、危うさを思う。そして日々死に向き合う祖母を思う。
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